『ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学』

加藤幹郎ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学』読了。
カメラマンが「裏窓」越しに「目撃」した殺人事件は本当に起こったのか。
カメラマンはなぜ、またいかにして美しい恋人からの求愛を拒絶しようとするのか。
この二つの謎の提示から始まる三つのスリリングな論考が収められている。
だが、いわゆる「謎解き本」の単純明快で手っ取り早い理解(娯楽)を期待していると肩すかしをくらわせられる。
謎は最後まで解き明かされることはない。
なぜならヒッチコック以後の現代映画はいまだ完結していない。
映画のヒストリーはいまだミステリーのままだからである。
(本書を読み終えて、エリック・ロメールの作品を観たいと思った。
ロメールの映画は基本的に「ヴァカンス映画」である。著者はそう書いている。
そこでは、浜辺や中庭や登場人物たちのいつ果てるとも知れないおしゃべりの中で省察される「現実」と映画のカメラが提示する多少なりとも客観的な「現実」とは齟齬をきたしている。
それこそ『裏窓』における外見と内実の乖離が先取りしていたものだ。
ここを読んでいて保坂和志の小説世界のことが頭をよぎった。
実はとうの昔に観ていたのかもしれないけれど、映画的記憶能力に著しく欠ける私にとって映画体験とはけっして「過去」に属さずつねに「いま・ここ」に生起するものなのだ。
だからロメールの映画を観てみたいと思う。)


本書から受けた刺激を肴に『裏窓』を観ようと思っていたけれど、レンタル・ショップの前に立ち寄った書店でふと「名作映画500円DVD」シリーズの『レベッカ』が目にとまり、350円だして借りて観るより500円だして手元に常備しておく方がよほどお得と瞬時に判断し速攻で買った。
米国移住後第一作。
ヒッチコックの躍進を示してあまりある中期の代表作」と加藤幹郎さんは書いている(『ミステリの映画学』79頁)。
自著『映画のメロドラマ的想像力』について「『レベッカ』や『断崖』などでおずおずとした物腰の演技で観客の視線を一身にあつめた映画女優ジェーン・フォンテインの身体論をふくむ書物です」(151頁)とも。
ジェーン・フォンテインはなかなかいい。
書店に立ち寄ったのは鎌倉・湘南特集を組んだ隔月誌『自遊人』9月号を買い求めるため。
数年前から企画していた鎌倉旅行がまだ実現していない。