2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

哲学を伝えること=独立に哲学をすること──永井均『西田幾多郎』

西田哲学(絶対無の哲学)の核心の上に、これとは「区別することはできない」永井哲学(独在性の〈私〉をめぐる形而上学、もしくはその論理−言語哲学ヴァージョンとしての開闢の哲学)の核心を重ね描いた西田=永井哲学の「解説書」。 言葉と独立にそれだけ…

概念のポリフォニー

ラテン語のペルソナは、三位一体の神の三つの「位格」(父・子・聖霊)を示す語として採用されるはるか以前から、劇場での仮面や劇中の人物、文法上の人称などの意味をもつ語として使用され、キケロ以降、法的人格や社会的役割、人柄、さらに抽象的な「人間…

非人格的な感情/感覚質の宇宙/精神の結晶

図書館で借りて、読まずに継続を繰り返しているうちに予約が入ってしまったので、伊藤邦武著『パースの宇宙論』(岩波書店)を購入。新品同様のものを、古本屋で800円引きの2千円で買った。とりあえず、プロローグ「ヴィジョンとしての多宇宙論」とエピロー…

ミシェル・ビュトール『時間割』その他

好天気に恵まれた三連休がさっさと素通りしていった。とりとめのない雑然とした印象しか残っていない。 永井均『西田幾多郎』の三度目の通読を終え、ためいきをつき、中村真一郎『女体幻想』の「1乳房」と『坂部恵集1』の月報(柄谷行人と鷲田清一)と「人…

脳もまたイマージュである

「クオリアとペルソナ」の方は、先週いっぱいかかって、第1回「哥とクオリア」の三分の一ほど書いたところ。予想外に長くなってしまって、といっても半分以上は引用か祖述、残りの半分は言い訳か予防線かせいぜい伏線のようなゴタクばかりで、書いていても…

クオリアとペルソナ(備忘録4)

一昨日の「備忘録3」で、西洋における「自然科学/キリスト教神学」に相当する日本の「実証思考(感覚世界)/抽象思考(概念世界)」は「歌論/仏教思想」で、「キリスト教神学」が「ペルソナ」に、「歌論」が「クオリア」に関係してくる、と書いた。 もし…

川端康成のこと・その他──クオリアとペルソナ(備忘録番外)

にわかに川端康成への関心が高まっている。 きっかけは、このところ専念している「クオリアとペルソナ」をめぐる考察を、島崎藤村の『夜明け前』と川端康成の『雪国』の、いずれもよく知られた書き出しの文章の比較から始めようと思いつき、そのためには『雪…

クオリアとペルソナ(備忘録3)

いくら「理論」にかかわることだとはいえ、あまりに抽象的な話ばかりで、書いていて面白くなくなってきた。これではいつまでたっても「クオリア」や「ペルソナ」にたどりつけない。そろそろ具象的、というか(抽象との対比でいえば)感覚的な事柄に即した話…

クオリアとペルソナ(備忘録2)

説明や論証や例証抜きの抽象的な議論がつづく。 ※ 昨日の文章の最後に出てきた「立ち上がり」(クオリアと志向性から言語が立ち上がり…)と「重ね描き」(二つの二項対立の重ね描きで四項を整序する…)、言い換えれば動的アプローチと静的アプローチによる解…

クオリアとペルソナ(備忘録1)

12月7日に挙げた本のリスト12冊のうち、とにかく読み終えたのはたったの3冊。当初の予定では、これらを全部読み込んでから「コーラ」への寄稿文の第1回目を書くつもりだったので、これではまだ足りないはずだが、年明以来、想像がたくましくなって、とう…