川端康成のこと・その他──クオリアとペルソナ(備忘録番外)

 にわかに川端康成への関心が高まっている。
 きっかけは、このところ専念している「クオリアとペルソナ」をめぐる考察を、島崎藤村『夜明け前』川端康成の『雪国』の、いずれもよく知られた書き出しの文章の比較から始めようと思いつき、そのためには『雪国』をきちんと読み直さなければいけないと、殊勝にも新潮文庫を買い求め読み始めてみたら意想外に面白い、どころかこれはとんでもない作品だと気づいたことにある。
 読み直す、と今書いたけれど、この作品を本当に読んだことがあるのか、それはいつのことなのか、記憶がはっきりしない。『伊豆の踊り子』だって、読んだかどうか記憶がさだまらない。確実に言えることは、大学生になった年、川端康成のガス自殺の報に接して、唐突感(その自死にはなんの必然性も物語性もない、遺書さえない)と違和感(あまりに散文的、というと散文家の死を形容するのに妙にアイロニカルな響きがともなうが)を覚えたこと、数年前に『山の音』を読みいたく魅了されたことくらいで、私の川端体験はいかにも貧弱だ。
 とにかく『雪国』はすごい小説で、通りすがりのように冒頭だけ取り上げて適当な思いつきを書いてすますのは軽率きわまりない。ではいったいどこがどうすごいのか、川端作品をひとあたり読み込む作業へと迂回しながら、いちど自分なりに言葉にしておかないといけない。そう思いたって、たまたま『芸術新潮』の2月号が「おそるべし!川端康成コレクション」を特集していたのでさっそく買い求め、福田和也高橋睦郎の対談「本人もコレクションもおそろしい」に目を通してみたら、いきなり福田和也が「大学の修士に行ってフランス文学を読み込んだ後、なにかのきっかけで『雪国』を読んだら、これはとんでもない小説だと驚いた」と語っていた。


《ヨーロッパの世紀末文学の理想、ボードレールやワイルド、リラダンが求めて果たさなかったデカダンの理想を実現してしまった作品です。
 デカダンスにはいろいろな見方があると思いますが、近代的人間性を徹底的に否定するインヒューマニティ、その残酷さが持っている美を極限まで押し進めるとあの小説の世界になるのだと思いますね。主人公の設定もそうですし、それから自然の描写ですね。人間性をはっきり拒絶したところから出てくる自然を描いていて、メタリックといってもいいような突き抜けた力があって、ニヒリズムすら必要としない無情さが溢れている、これは本当におそろしい作家がいるという感覚を持ちました。》


 「メタリックといってもいいような突き抜けた力」や「ニヒリズムすら必要としない無情さ」といった言い回しに導かれて『日本人の目玉』(ちくま学芸文庫)を購入し、そこに収められた福田の川端論「いつでもいく娼婦、または川端康成の散文について」を読んでみたら、川端康成は「射精を恐れない」とか、川端康成の「無感覚」といった、蠱惑的な言い回しが出てきた。


《翻って言えば、川端的な視点に立つのならば、文章を書くという事は、何らかのメッセージを、情報を、受け手の理解にむけて伝達することではない。そのような営為を通して、地平なり枠組みなり世界なりを虚構することではない。書くことは、何よりもこの流れ〔「滅びても滅びない」ものの「寂しい流れ」〕を、受け手と投げ手、意図と理解を等しなみに押し流して露呈するけじめのない、魔界の広がりに呑み込んでいくことにほかならない。自分が他人であり、他人が自分であるようなけじめのない場所を作り出すこと。
 谷崎潤一郎的な、近代的な散文が、射精にむけて、つまり伝達や理解といった絶頂に向かい、その迂回と遅延を巡って形作られているとするならば、川端のそれは、射精といく事が過ぎた後の、自他を溶かし不分明にしていく太々しい持続を原基としている。》(287頁)


《最早、引用という事をしたくないので、どのような作品でもいから、川端の文章を手にとって欲しい。そうすれば、その文章が、常に語られる感受性の豊かさによってではなく、むしろ無感覚によって成り立っていることが分かるだろう。主体と客体、自分と他者、現在と過去、原因と結果というあらゆるけじめを押し流すアパシィによって川端の文章は成り立っており、その文がなすのは、伝達ではなく、露呈であるという事があきらかだろう。
 日本の山河を魂とするという川端の誓いは、いった後の睦言の冷えの中で、書く事は何よりも、意味やイメージを伝えるのではなく、あらゆるけじめのない広がりを共有し侵食することだと囁き続ける。「あなたはどこにおいでなのでせうか」(「反橋」)。》(290頁)


 ここまで言われたら、読まずにはおられない。で、『雪国』とあわせて『文豪ナビ 川端康成』(新潮文庫)まで買って読んでいる。


 もう一つ書いておこう。先日、古本屋めぐりをしていて、ふと目にした中村真一郎の『女体幻想』(新潮社)がどうしても欲しくなって、いったん帰りかけたのにまた戻って入手した。ずっと以前から、『四重奏』四部作(「仮面と欲望」「時間の迷路」「魂の暴力」「陽のあたる地獄」)など中村真一郎の官能小説(性愛幻想小説というべきか)に惹かれていて、いつか読みたいと思っていた。
 それが川端康成とどう関係してくるのかというと、新潮文庫の『みずうみ』の解説を中村真一郎が書いているといった程度のことではなくて、もっと深いつながりがあるに違いないと(山勘で)思う。
 これもまたどうでもいい話題だが、ウィキペディアに、中村真一郎が「福永・堀田善衛とともに「発光妖精とモスラ」という作品を合作し、これが映画『モスラ』の原作になった。ただし、彼らに原作料はわずかしかはいらなかった」と書いてあった。


     ※
 福田和也の「ヨーロッパの世紀末文学の理想、ボードレールやワイルド、リラダンが求めて果たさなかったデカダンの理想を実現してしまった作品」という『雪国』評を読んで、なぜか藤原定家を想起した。どうせ、丸谷才一経由の「王朝和歌=モダニズム文学説」あたりからの連想なのだろうが、新潮文庫の『雪国』の解説(竹内寛子「川端康成 人と作品」)の次の文章などを読むと、なかなかどうして深く暗い導管が透けて見えてくるような気がする。


私見によれば、川端康成の文学における日本については、本来モノローグによる自己充足や解放を好まず、ダイアローグによってドラマを進展させたり飛躍させたりする谷崎潤一郎の文学と較べてみると、少なくとも一つのことははっきりするように思う。それは,谷崎文学が、日本の物語の直系であるようには、川端文学はドラマの欠如あるいは不必要によって直系とはいい難く、本質的にはモノローグに拠るものという点で、和歌により強く繋がっているということである。(略)谷崎潤一郎の、自国の文学享受が、王朝と江戸と西欧との混淆というかたちで生かされているのに対し、この作家の場合は、王朝と中世と西欧とが重なっていてこれ又独自であり、その中世では、軍記物語のたぐいよりも歌と歌論、つまり詩と詩論のたぐいに、より積極的な関心の厚さが見えるのも注目されてよいことと思われる。》


 「射精を恐れない」川端文学が「本質的にはモノローグに拠るものという点で、和歌により強く繋がっている」。面白い。「モノローグ」が和歌につながる点にはひっかかりを感じるが、それはドラマのダイアローグとの比較でいわれていることなのだし、また、和歌という宴のうちにやどる孤心(大岡信)というものもあるのだから、まあよしとしよう。
 新潮文庫の『雪国』には、伊藤整の「『雪国』について」という文章も付いていて、そこでは『雪国』という「抒情小説」が『枕草子』から俳諧へという流れのうちに位置づけられている。


《『枕草子』にある区別と分析と抒情との微妙な混淆を、どこの国にもとめることができよう。
 『雪国』はその道を歩いている。『枕草子』の脈は、私は俳諧に来ていると思う。それは和歌の曲線を不正確として避けた芭蕉、いなそれよりももっと蕪村に近いあたりをとおり、現代の新傾向の俳句の多くにつながる美の精神である。そして、突如、泉鏡花において散文にほとばしり、それ以後散文精神という仮装をして現われた物語文学に押しのけられ、押しつぶされて消えそうになりながら消えず、文学の疲労と倦怠の隙間ごとに明滅していたが、川端康成において,新しい現代人の中に、虹のように完成して中空にかかった。》


 『雪国』は和歌なのか、俳句なのか。どっちでもいいといえばいえようが、実は、『夜明け前』と『雪国』の書き出しの文章を比較して、「木曾路はすべて山の中である」は俳句で、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は和歌だ、それはそこに時間が織り込まれているかどうかによる(運動が織り込まれているかどうかによる、というのとどう違うか、そのことはいつかドゥルーズの『シネマ』を読んでから考えよう)、といったあまり根拠のない決めつけでもって論考をはじめようと目論んでいた。それはもう断念したこととはいえ、


「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」


「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」


と、こうやって書き出しの最初の段落を抜き書きしてみると、要するに『雪国』は和歌か俳句か、やっぱり気になってくる。


     ※
 『雪国』の主人公(といっていいのかどうか)島村について、川端康成は、「島村は私ではありません。男としての存在ですらないようで、ただ駒子をうつす鏡のようなもの、でしょうか」と語っている。
 先走って、しかも説明抜きで書いておくと、私はこのことを知ったとき、やはり『雪国』は四人称で書かれた小説だったのだと思った。「鏡」としての島村は、まさにカメラ・アイにほかならず、だからこれは死後の世界、死者たちの世界の物語なのだと思った。なにが「だから」なのかよく分からないが、「川端の作品では、死者が平気で登場人物として現れる」(福田和也『日本人の目玉』275頁)。これに対して『夜明け前』は文字どおり、生前の物語なのだ(これもよく分からない)。
 補遺。四人称に関して、最近、小田マサノリという人に「見よぼくら四人称複数イルコモンズの旗」(『現代思想』03年2月号)という論考があることを知った。


 ところで、新潮文庫の注解に、上の川端の言葉を受けて「能でいえば駒子のシテに対するワキといえようか」とある。ちょっとこれはどうかと思う。だいいち、能のシテは死者と相場が決まっている。死者はむしろ島村ではないか。「男としての存在ですらない」島村は、少なくとも男としては死んでいる…。でも、「西行桜」では桜の精がシテで、西行がワキになっている…。駒子は動物の精で、葉子は植物の精で…。ますますわけがわからなくなってきた。


     ※
 「内田樹の研究室」の2006年06月18日の記事「死をめぐる二つの考察」を思い出した。「死者とのコミュニケーション」について書かれた部分がここでの話題に関係しそうなので、ペーストしておく。何度読んでも痺れる。


《土曜日は大阪の朝日カルチャーセンターで釈先生と「現代霊性論」のシリーズ三回目(このシリーズは去年の後期に大学の講義でやった話の続き。四月から六月まで大阪、七月に東京でやってとりあえず打ち上げ)。
喪の儀礼、死者とのコミュニケーションという重い問題を最後に取り上げる。
複式夢幻能という演劇形式が精神分析のセッションと同型的な構造を持っているということはよく指摘される。
前シテが分析主体(患者)で、ワキが分析家(医師)である。
ある「痕跡」をワキがみとがめて、そこに立ち止まる。
そして、「ここでいったい何が起きたのだろう?」という問いを発する。
その問いに呼応するように「影の薄い人間」(前シテ)が登場して、歌枕の来歴について説明を始める。
説明が続いているうちに、しだいに前シテは高揚してきて、やがて「ほんとうのことを言おうか?」というキーワードをワキに投げかける。
ワキがそれに応じると同時に舞台は一転して、「トラウマ的経験」が夢幻的に再演される。
後ジテが「死者」としてそのトラウマ的経験を語り、それをワキが黙って聴取することによってシテは「成仏」する(しない場合もある)。
「成仏」というのは要するに「症状の緩解」ということである。
能のこの構成はおそらく喪の儀礼の古代的形態を正しく伝えている。
そこには二人の登場人物が出てくる。
「痕跡」(症状)を見て、そこでかつて起きたこと(トラウマ的経験)をもう一度物語的に再演することを要請する生者。
その要請に応えて、その物語をもう一度生きる「死者」。
この物語は「演じるもの」と「見るもの」がそのようなトラウマ的事実があったということに合意署名することで完了する。
時間を遡行できない以上、その物語が事実であったかどうかを検証する審級は存在しない。
ということは、その物語は事実であっても嘘であっても、コンテンツは「どうでもいい」ということである。
手続きだけが重要なのだ。
それが「儀礼」ということである。
能の前シテが「影の薄い人物」であるということも重要である。
それはただの通りすがりの「誰でもいい人」(Mister Nobody)である。
あるいは、そんな人物はそこに通りがかりさえしなかったのかもしれない。
というのはほとんどの場合、ワキは長旅で疲れ果てて、人里離れたところで呆然と立ちつくしているところから物語は始まるからだ。
これは「入眠幻覚」にとって絶好の条件である。
前シテも、後ジテも、ワキが出会ったと思っている人はもしかするとはじめから最後までそこにはいなかったのである。
もしかすると、ワキは疲れ果てて短い夢を見ていただけなのかも知れない。
重要なのは、「それでよい」ということである。
むしろ、「そうでなければならない」ということである。
それが死者とのコミュニケーションの正統的なかたちなのだ。
たぶん死者が私たち生者に告げようとしているメッセージも、彼らが語る驚くべき物語も、生者が無意識的に構築したものなのである。
ラカンがただしく述べたように、分析においてもっとも活発に活動しているのは分析家の欲望だからである。
私たちは「自分の欲望」をつねに「死者からのメッセージ」というかたちで読む。
自分の欲望を「私はこんなことをしたいです」とストレートな文型で表白しても、そんなものには何のリアリティもありはしない。
そんなものは小学校の卒業文集の「将来なりたい人間」に書いた文章と同じように、私たちが自分自身についてどれほど貧しい想像力しか行使できないのかを教えてくれるだけである。
私自身の貧しい限界を超えるような仕方で「私の欲望」を解発するためには、どうあってもそれは「他者からのメッセージ」として聴き取られねばならない。
そして、あらゆる他者のうちでもっとも遂行性の強いメッセージは死者からのそれである。
「死者からのメッセージ」はその定義上「書き換え不能」だからである。
そして、「死者からのメッセージ」として読まれたときに「私の欲望」はその盤石の基礎づけを得ることになる。
ラカンはこう書いていた。
「言語活動において、私たちのメッセージは『他者』から私たちのもとに到来する。それも、逆転した仕方で」(dans le langage notre message nous vient de l’Autre, et pour l’e´noncer jusqu’au bout : sous une forme inverse´e) E´crit I, Seuil, 1966, p.15
私たち自身の欲望の表明を、私たちは「他者」からの「謎のことば」として聴き出す。
それが「喪の儀礼」の本質構造である。
それは私たちが「自分のことば」をもってしては決して語ることのできない「私の欲望」を言語化する唯一のチャンスなのである。
喪の儀礼とは「死者は私たちに何を伝えたかったのだろう?」という問いを繰り返すことである。
そして、この問いこそが「私の欲望」を解錠し、私が私の限界を越えて生きることを可能にする決定的な鍵なのである。
人類が他の霊長類と別れるきっかけになったのは、たぶんこの問いが念頭に浮かんだその瞬間だからである。》