Web評論誌『コーラ』45号のご案内

◆Web評論誌『コーラ』45号のご案内(転載歓迎)

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  • PDF版『La Vue』No.5(2001/03/01)<ペーパー版からの復刻です>

  詩をめぐることばの現在   高橋秀明

  紫の上のいのり   ゆふまど あかね

  魂脳論序説   中塚則男

  複製芸術論のアクチュアリティー    平野 真

  日本一あぶない音楽──河内音頭断片    鵜飼雅則

  私はその存在を肯定したい──立岩真也著『私的所有論『弱くある

     自由へ』を読む    加藤正太郎 

  (Webに続く)

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  第64章 純粋経験/私的言語/アレゴリー(その5) 

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  第65章 純粋経験/私的言語/アレゴリー(その6)  

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  中原紀生

     ■アレゴリーの「悲しみ」が世界を現象させる

  引きつづき、無内包の現実性(の見えない痕跡、お零れ、幽霊のごときも

 の)を語る言語の第二類型から第四類型まで、すなわち〈現実〉や〈今〉や

〈私〉をめぐる私的言語について考察するはこびとなりました。が、しかし、

(論じるべきアイデアがいまだ降臨しない、というか、そもそも私的言語につい

 て語るべき内実などありえないのではないか、と思う気持ちが募るので)、一

 気に先に進まず、すこし迂回路をたどってみたいと思います。

 (Webに続く)

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  • 連載〈心霊現象の解釈学〉第22回●

   バーチャンリアリティ

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  広坂朋信

  幽霊・亡霊・死霊(生霊)とは亡くなった人(そこにいるはずのない人)の

 幻であるというのが私の定義である。しかし、幻とはどういうものなのか。日

 常の知覚とはどう違うのか。

  亡くなった人の姿が見える(幻視)、と、亡くなった人の声が聞こえる(幻

 聴)、とでは、いずれも私の定義からは幽霊になるはずなのだが、両者の間に

 はやや違いがあるようだ。拙速を省みずに言えば、幻視の方が重んじられて幻

 聴は軽んじられる傾向があるように思う。霊感があると自称する人のことを

 「視える人」などという場合があるように、幽霊と言えば見たかどうかが話題

 になる。これは私たちの社会が視覚優位で組み立てられていることと関係があ

 るのだろう。このことは重大な問題を含んでいるかもしれないが、今回は便宜

 上、視覚における幻を題材にする。

 (Webに続く)

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  • 連載「新・玩物草紙」●

   植物たちの怪異/ドールハウス 

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  寺田 操

  星野智幸『植物忌』(朝日新聞社・2020・5)は、近人間と植物の交歓、

 チェンジ、一体化、食物連鎖などがモチーフとされた近未来の魔訶不思議で不

 気味な世界だ。

 植物の殿堂「からしや」を舞台に、小説世界がリアルに迫ってくる。地球温暖

 化、人口爆発、食糧問題、自然災害やウィルスの襲来といった、人間を取り巻

 く環境の激変が現実に起きているからだ。とりわけゲノムテクノロジーの急激

 なる進化で、遺伝子操作にスポットが当てられたことについて。植物と人間の

 親和性が揺らいでいくことに背中が凍りついた。

 (Webに続く) 

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  • 連載「黒猫のノオト」●

   吉本隆明『最後の親鸞』を読む

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  黒猫房主

  親鸞がその「往相」において<知>の頂きを究めた後、つまり「還相」にお

 いて吉本隆明がかんがえるところの「最後の親鸞」が到達した<非知>とは、

 まったくの<愚者>になることであった。

  しかしそれは「存在すること自体が、絶対他力に近づく極北であるような存

 在」、つまり「じぶんからはけっして(信心を)おこさない非宗教的な存在」

 を超える(止揚する)思想/境涯としてあったのではないだろうか。そして世

 間の「有限の倫理」に対して「無限の倫理」を、自己欺瞞に陥ることなく

 <信>として指し示すことにあった。だがそれは可能なのか。

 

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 ネット上のWeb論考を編集部の判断により、適宜このサイトにリンクすること

 を企画いたしました。読者各位のお役にたて れば幸いです。

 いずれ論考数が増えてくれば、テーマ別に再編集する予定です。

 (Webに続く)

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