Web評論誌『コーラ』34号のご案内
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●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第45章 錯綜体/アナロジー/論理(その1)
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中原紀生
貫之現象学を織りなす諸相群の基底となるA層。その第一の相は、「錯綜
体/アナロジー/論理」の三つの項で構成されます。以下、順次、概観します
が、その前に、いわばウォーミング・アップとして、伊藤亜紗著『目の見えな
い人は世界をどう見ているのか』の議論を引きます。
いわく、美学とは「言葉にしにくいものを言葉で解明していこう、という学
問」(25頁)である。「言葉にしにくいもの」の第一位は質的なものをとらえ
る感性のはたらきで、感性的認識は身体のはたらきである。第二位は芸術。芸
術作品にも身体は密接にかかわってくるのであって、美学の究極形態は「体に
ついて(言葉で分析したものを)体で理解する」(26頁)ということだ。それ
は「身体一般」などという実在しないものをめぐる抽象論ではない。普遍と個
別の中間あたりで体をとらえ、身体一般の普遍性が覆い隠していた「違い」を
取り出そうとするものである(28頁)。
この「新しい身体論」(新しい美学)の最初のリサーチの相手として、著者
は「見えない人」に白羽の矢を立てました。以下、私自身の手控えとして、伊
藤氏の著書からいくつか、琴線に触れたところを抜粋します。
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●連載〈心霊現象の解釈学〉第12回●
不完全な交渉
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広坂朋信
前回、中村雄二郎と小松和彦の往復書簡『死』(岩波書店)から、中村のア
ニミズム理解、その形而上学的表現である逆光の存在論を取り上げた。これ
は、私にとっての心霊現象、私に立ち現われてくる幽霊をいかに語るかという
このエッセイの課題からは脱線のように見えるかもしれないが、そうでもな
い。
中村の逆光の存在論をいささか独断的に敷衍するならば、死は生者にとって
絶対他者の領域、絶対の異界である。亡霊とは、この絶対の異界からこの世に
立ち現われるエージェント、相対的他者である。私たち生ける者は、このエー
ジェントとの交渉を通して、絶対他者の領域を予感する。しかし、亡霊は相対
的他者としてしか現れないため、その交渉はいつも不完全である。この不完全
さにはいくつかのヴァリエーションがあって、それに応じて死者をめぐる物語
の類型が生じる。それらは必ずしも怪異体験談とは限らない。
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●連載「新・玩物草紙」●
ヴァージニア・ウルフ/爪をめぐる不思議な冒険
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寺田 操
ヴァージニア・ウルフがモデルの映画『めぐりあう時間たち』(2002、
米、監督=スティーブン・ダルドリー/主演ニコール・キッドマン)をBSで
見た。1923年ロンドン郊外、病気療養中のヴァージニア・ウルフは「ダロ
ウェイ夫人」の執筆をはじめる。当時、神経を病んで彼女は、夫とともに田舎
に移りすんだが、退屈な田舎暮らし、町への外出禁止、使用人たちに監視され
ているような生活に、病いを深くしていた。都会のような刺戟がないのが何よ
りも辛いのだ。静かな場所が精神状態を慰藉してくれるというわけではない。
ロンドンへ帰ろうと黙って家を出た彼女を追って駅までさがしにいく夫。田舎
生活を切り上げたふたりはロンドンへ戻るのだが、彼女は入水自殺する。
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