心に残った本(2017年)

正岡子規『獺祭書屋俳話・芭蕉雑談』『歌よみに与ふる書

 今年の「発見」は正岡子規。きっかけは、小森陽一著『子規と漱石──友情が育んだ写実の近代』。
 まず俳論・歌論からと思って、岩波文庫で『獺祭書屋俳話・芭蕉雑談』『歌よみに与ふる書』と読み進め、年をまたいで『俳諧大要』を読んでいる。面白い。文章が生きて跳ねている。
 子規論では、小森本のほか、中沢新一の「陽気と客観」(『ミクロコスモス2』)が面白かった。ネットで見つけた芸術人類学研究所のシンポジウム「正岡子規と《写生》の思考」での中沢や小澤實の発表が刺激的だったので、この二人の共著『俳句の海に潜る』を読んでみたら、これもまたすこぶる面白かった。
 その他、長谷川櫂『子規の宇宙』、森まゆみ『子規の音』も記憶に残った。


中沢新一『熊を夢見る』『虎山に入る』

 今年は中沢本にたくさんの刺激を受けた。『ミクロコスモス1・2』に続く二冊の小曲集は、極上の短編小説の味わいだった。
 他に『レヴィ=ストロース 野生の思考』と、松岡正剛赤坂真理・齋藤環との共著『「日本人」とは何者か?』が記憶に残った。
 今年の2月、大阪の北御堂で内田樹中沢新一・釋徹宗の三氏が出演する公開シンポジウム「儀礼空間の必要性とはたらき」があった。残念ながら参加出来なかった。
 その替わりというわけではないが、12月、京都のジュンク堂で催された内田樹・安田登の公開トークに出かけた。『変調「日本の古典」講義』の続編につながる、とても怪しい対談だった。
 安田師の『あわいの時代の『論語』──ヒューマン2.0』『能──650年続いた仕掛けとは』も記憶に残った。来年は古事記論が刊行されるという。


●渡辺恒夫『夢の現象学・入門』

 Web評論誌「コーラ」に連載している「哥とクオリア/ペルソナと哥」が新段階(泥沼?)に突入した。
 昨年から今年にかけてヴァレリーの「錯綜体」の概念から「アナロジー」「論理」と進み、今年は「夢」に始まり「パースペクティヴ」を経て、来年にかけて「時間」へ。その後、「映画」や「記憶」に取り組んだ後で、日本語の深層に存在する「やまとことばの論理」((c)中野研一郎)へと進む予定。

 渡辺本以外に刺激を受けた(か役に立ったか、それほど刺激は受けずあまり役に立たなかったがヒントは得た)参考書を挙げておく。(次の項目に挙げた國分本、池田・福岡本からも多大な刺激を受けた。)


◎『ヴァレリー集成2〈夢〉の幾何学』巻末の「解説」(塚本昌則)
オギュスタン・ベルク『風土の日本──自然と文化の通態』(篠田勝英訳)
木岡伸夫『邂逅の論理──〈縁〉の結ぶ世界へ』
◎カルロ・セヴェーリ『キマイラの原理──記憶の人類学』(水野千依訳)
◎湯浅泰雄『身体論──東洋的身心論と現代』
真木悠介『時間の比較社会学
◎中野研一郎『認知言語類型論原理──「主体化」と「客体化」の認知メカニズム』
◎山田哲平『反訓詁学――平安和歌史をもとめて』


國分功一郎『中動態の世界──意志と責任の考古学』
●池田善昭・福岡伸一福岡伸一、西田哲学を読む──生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』

 偶然、この二冊の書物を連続して読んで、そこにとても深い繋がりがあるのを発見して興奮した。
 それは、『中動態の世界』のプロローグに書かれていることが、『福岡伸一、西田哲学を読む』の中核をなす西田幾多郎の「逆対応」をめぐる議論と結びついていて、そしてそれは、(松岡新平著『宴の身体』の第11章「紀貫之世阿弥」に書かれていた)「見つつ・見られる関係性」の議論に接続される、ということだった。
 これについては、機会があれば(その気が充満すれば)このブログに書いてみたいと思っている。


※國分本の読後感想文が、図らずも最近書か(け)なくなった「書評」めいたものになっていたので、自己引用しておきます。

《依存症から抜け出すのは本人の努力しだい。誰かから強制されたわけではないのだから、あとは本人の自由意思の問題。そんな「能動態/受動態」(あるいは「自由意思/強制」)のパースペクティヴで物事を考えるようになったのは比較的最近のことで、かつては、(たとえばホメロスが神々と英雄の物語を朗誦し、海月なす漂へる時に葦牙の如く萌え騰る物によりて神が成った頃には)、「中動態/能動態」のパースペクティヴが基本だった。
 著者はバンヴェニストアレントの議論を参照し、途中に言語と思考の関係、言語(文法)の歴史といった興味深い議論を挿入しながら、失われた中動態の世界を探求していく。ハイデガードゥルーズ、そしてスピノザの思考の根本に中動態的なものを見出し、メルヴィルの遺作『ビリー・バッド』の読解をもって書物を閉じる。
 豊饒な中身をもった魅力的な著書。読後、物の見方(パースペクティヴ)が回転する。》


●篠田英朗『ほんとうの憲法──戦後日本憲法学批判』

 この本は、ほんとうに面白かった。目から鱗がおちた。法学部の学生だった頃に読んでおきたかった。
 関連はしないが、他に人文・社会系で記憶に残った本を挙げておく。


加藤典洋『敗者の想像力』
◎『柄谷行人講演集成 1995-2015 思想的地震
◎ジョン・エリス・マクタガート『時間の非実在性』(永井均訳・注解と論評)
◎山田陽一『響きあう身体──音楽・グルーヴ・憑依』


絲山秋子『離陸』
カズオ・イシグロ日の名残り

 同時に読んだ『騎士団長殺し』(村上春樹)よりも『離陸』の方が面白かった。謎が解き明かされず謎のまま残る。この(人生そのものと言ってよい)感覚がいつまでも後を引く。
(同様に謎が謎のまま残る村上本も面白かったし、村上春樹はもう何だって書ける域に達したと驚嘆させられもしたが、それでも絲山本の方が面白かった。)
 ノーベル賞受賞を知って、8年ぶりに続き(後半)を読んだ『日の名残り』は、これが小説を読む愉しさだ、としか言いようがない極上の経験を与えてくれた。
 他には、蓮実重彦著『伯爵夫人』、藤井雅人著『定家葛』が記憶に残った。


恩田陸蜜蜂と遠雷
●高田大介『図書館の魔女』

 エンターテインメント系(国内篇)ではこの二冊。いずれも絶品。


●ユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q 知りすぎたマルコ』上下(吉田薫訳)

 エンターテインメント系(海外篇)の最大の収穫が「特捜部Q」シリーズ。
 まず『檻の中の女』『キジ殺し』『Pからのメッセージ』と映画で観て、その後『カルテ番号64』『知りすぎたマルコ』『吊された少女』と読み進めた。来年は第七作が翻訳されるらしい。待ち遠しい。
 マーク・グリーニーの『暗殺者の飛躍』(伏見威蕃訳)も楽しめた。


●松本紘『改革は実行──私の履歴書

 今年の「拾い物」。著者の講演を二度聴いた。その肉声が書物を通して聞こえてくる。
 その他、尾畑雅美著『パーソナル・フレンド──情報に生きる』(非売品)も記憶に残った。