魂(アニマ)について

 山内志朗著『「誤読」の哲学』から中畑正志著『魂の変容──心的基礎概念の歴史的構成』へ。そして神崎繁著『魂(アニマ)への態度』へ。
 西洋古代・中世の哲学と現代の「心の哲学」をつなぐ(そして貫之、俊成、定家、心敬、世阿弥芭蕉、等々の歌論、連歌論、能楽論、俳論につながっていく)ミッシング・リンクの探究。


 山内本では「媒介の喪失と観念の参入」(=「三項関係から二項関係への移行」)や「虚(構)体」といった議論や語彙が濃く記憶に残った。
 中畑本でとくに強く印象に残ったのは、「われわれの世界は認知されるべく自らを潜在的な情報源として提示しており、魂の能力は、そのような世界のあり方を示す情報を受容する能力それ自身である」(31頁)という(生態学的心理学を思わせる)アリストテレス的な「埋もれてしまったヴィジョン」(34頁)の発掘作業が示唆する心の哲学のあり方と、「歴史性に注目して考察することは、自然科学の仕事ではなく人文学の課題である」(36頁)とする「心の人文学」をめぐる議論。
 神崎本はやや想定外。「ハイデガーが「プシューケー」に与えた訳語が「現存在(Dasein)」だったことは、やはり重要なことだと言わなくてはなりません」(211頁)。


 引き続き田島正樹著『古代ギリシアの精神』を眺めている。
 一昨年の秋に刊行されたイブン・シーナーの『魂について──治癒の書 自然学第六篇』(木下雄介訳,知泉書館)も読んでみたい。山内志朗の解説「イブン・シーナー『魂について』をめぐる思想史的地図」だけでも。