2009-01-01から1年間の記事一覧

Web評論誌『コーラ』8号が発行されました。

「哥とクオリア/ペルソナと哥」の第11章・第12章を寄稿しています。よかったら眺めてみてください。 ■■■Web評論誌『コーラ』8号のご案内■■■ 本誌は〈思想・文化情況の現在形〉を批判的に射抜くという視座に加えて、〈存在の自由〉〈存在の倫理〉を交差…

子どももおとなも共に育つ社会──柏木恵子『子どもが育つ条件』

児童相談所に勤める知人から「読むと必ず目からウロコが落ちる」と薦められた。たしかに何枚もウロコが落ちた。 たとえば、第1章で紹介される「育児不安」の実態。著者は「育児・子どもがらみの不安や焦燥よりも、現在の自分についての心理的ストレスの方が…

政権を選択することの意味──佐々木毅『政治の精神』

先月、神戸・東京間の新幹線の中で、飯尾潤著『日本の統治構造──官僚内閣制から議院内閣制へ』(中公新書)を読んだ。いまさらと思いながら、それでも一心不乱になって読んだ。法学部系政治学、とでもいうのだろうか、歴史的・制度論的な思考の書物を読むの…

日本近代文学と数学、横光利一『旅愁』のことなど

村上春樹の『1Q84』で興味を覚えたことの一つに、偶数章の主人公・天吾は予備校の数学講師で幼少の頃は数学の神童だった、という設定がある。 村上文学は生物学、生命科学と相性がいい。なんとなくそう感じていた。(初期の「鼠三部作」の主人公はたしか…

『1Q84』の四項関係のことなど

『1Q84』(村上春樹)と『ベンヤミンと精神分析──ボードレ−ルからラカンへ』(三原弟平)が同じ発行日付をもっていて、だからというわけではないが、この二つの書物はまるで双子のように一方が一方を照らし出していた。 前回そこまで書いておきながら、…

『1Q84』と大長編ドラえもん

昨日、村上春樹の『1Q84』と三原弟平著『ベンヤミンと精神分析──ボードレ−ルからラカンへ』をほぼ同時に読み終えた。 『1Q84』は、途中から「これは大長編ドラえもんの世界じゃないか」という思いがつきまとい始め、それはとうとう最後まで離れなか…

なぜ難解な本を読むのか

なぜ難解な本を読むのか。「そこに難解な本があるから」というのは、それはそれで一つの答えになる。 私の場合、未読の哲学系難解本が書棚に山のように「寝かせ」られていて、それらの書物が一斉に「いつ読んでくれるのか」と日々恨めしげに背表紙で訴えかけ…

ルーマンとラカン─壊滅的かつ超絶的に難解

ルーマンがいうオートポイエーシス的社会システムの要素は「コミュニケーション」であって、「行為」や「人間」や「意識」ではない。 このことをめぐって、もう少し書いておきたいことがある。 高田明典著『難解な本を読む技術』に、ラカンの「《盗まれた手…

人間やその意識は社会の要素ではない

佐々木慎吾氏の「ルーマン『社会システム』」という文章(『現代哲学の名著』)を読んで、もう一つ印象に残ったのは、ルーマンがいう社会システムの構成要素は「コミュニケーション」で、「行為」や「人間」や「意識」ではないと書かれていたことだ。 《では…

世界観にはそれを取り消すべき方法が組みこまれていなければならない

ニクラス・ルーマンを読みたくなった。 きっかけは、(前回書いたように)、『現代哲学の名著』に収められた文章(執筆者:佐々木慎吾)を読んだことにある。 そこで印象に残ったことの一つは、ルーマンの社会システム論が、生命システムに対して案出された…

ニクラス・ルーマン

冬弓舎のサイトから、酒井泰斗さんの日曜社会学のページへ飛んだ。どちらも久しぶりのアクセス。(その昔、酒井さんが主催するルーマンフォーラムというメーリングリストに参加していたことがあった。脱会した覚えはないのに、たぶんメールアドレスを変えた…

〈インメモリアル〉な時を求めて

「かたるに落ちる」というけれど、「はなすに落ちる」とはいわない。 だから、〈かたる〉は〈はなす〉よりひとつ上の世界にすまいしている。 〈うたう〉や〈いのる〉、〈つげる〉や〈のる〉と〈はなす〉のはざまから、 神と人の垂直の関係へ、はては〈しじま…

双子のように響き合う文人哲学者

◎坂部恵『不在の歌──九鬼周造の世界』 文人哲学者・九鬼周造という「異例の哲学者」(『九鬼周造エッセンス』「解説」での田中久文氏の評言)の度はずれたスケールとその深さまた高さを、「註解」もしくは「註釈」という方法で凝縮した格好の入門書。入門書…

フィクションとしてのテクスト、フィクションとしての人生

貫之ときけば、古今集仮名序の「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」を想起する。 和歌は「人のこころ」を詠んだもの。表現せずにはいられない、やむにやまれぬ「思い」を言葉の技術を駆使してうたいあげるのが和歌であ…

神も昔は人ぞかし─神仏習合と歌枕

先日、大岡信著『うたげと孤心 大和歌篇』(集英社)を読んでいて、「神仏混淆というまことに日本的な信仰形態の定着という事実と、一方、律令時代から摂関時代への移行、遣唐使の廃止、平仮名の発明と普及、『古今和歌集』勅撰事業の推進と完成などにみられ…

続々・原形質と洞窟

◎洞窟をめぐって 『パースの宇宙論』第四章「誕生の時」の冒頭に、「パースの宇宙論においては、視覚世界から嗅覚世界への向き直りが、現実世界の形式の非唯一性を認識させる扉を開くという明確な意識が存在した」(182頁)と書いてある。 そして、「人が光…

続・原形質と洞窟

◎原形質をめぐって 伊藤邦武著『パースの宇宙論』第三章「連続性とアガペー」の141頁から149頁にかけて、(全体が一つの原形質[*1]からできている)アメーバの話題をふりだしに、「物質のもつ精神性の有無」をめぐる議論(「アメーバの感情」「記号…

原形質と洞窟

五連休の最終日。 この五日間、近所の図書館に顔をだしたり、コーヒーショップで本を読んだりと、徒歩10分程度の範囲で、日に1度、1、2時間程度外出した以外は、遠出もせず、街にもくりださず、ただ黙々と部屋にこもり、深夜遅くまでパソコンにむかって…

パースの閃光──伊藤邦武『パースの宇宙論』

チャールズ・サンダーズ・パース。その生涯に1250篇近くの論文を発表(230頁)。総計は1万2千枚、加えて、未発表の草稿が少なくとも8万枚はあるという(宇波彰「アブダクションの閃光」、『記号的理性批判』44頁)。 ある研究家は、「アメリカ大陸が…

パースの宇宙論と坂部恵のヨーロッパ精神史

伊藤邦武著『パースの宇宙論』の巻末の注をめぐる最後の話題。前回と同じ、第四章「誕生の時」から。 パースは『連続性の哲学』(岩波文庫)に、「感覚質の宇宙は、それぞれの次元間の関係が明瞭になり、縮減したものになる」(257頁)と書いた。この、「混…

パースの宇宙論と九鬼周造の回帰的時間

伊藤邦武著『パースの宇宙論』の巻末の注をめぐる話題をもう一つ。第四章「誕生の時」から。 なお、これに先立つ箇所に、次の文章がでてくる。「彼の哲学には、われわれは視覚的な世界への囚われをいったん緩めることによって、ユークリッド幾何学以外の世界…

パースの宇宙論と折口信夫の言霊言語論

伊藤邦武著『パースの宇宙論』の第二章「一、二、三」に、パースが寄稿した雑誌『モニスト』の編集者ケイラスの話が出てくる。 《…『モニスト』という名前はケイラスの思想的立場を表している。モニストとは一元論者を意味するが、ケイラスはこの言葉で、唯…

書かざれしかば生まれざるもの

宇波氏の「パースの対象O」をめぐる議論に、軽い違和感を覚えている。 それは、宇波氏がいう「対象と記号のずれ」の問題が、うっかりすると、「対象O」と「記号連鎖S、S'、S''…」の二項関係をめぐる議論と取り違えられてしまわないかということだ。「解…

「対象O」と「純粋言語」と「ル・レエル」(承前)

宇波彰氏の「弱者の言説」(『記号的理性批判』)で、パースの「対象O(としてのテクスト)」とベンヤミンの「純粋言語」とラカンの「ル・レエル」がどのように関連づけられていたか。以下、該当する箇所を(適宜、加工を加えて)抜き書きしておく。 ◎パー…

「対象O」と「純粋言語」と「ル・レエル」

「ラカン」「パース」「ベンヤミン」で検索して、宇波彰氏の「弱者の言説 パースからラカンへ」を入手した。明治学院大学の言語文化研究所が発行する研究紀要「言語文化」24号(2007年03月)に掲載されたもの。 (ちなみに、「宇波彰現代哲学研究所」でも同…

書かなかったことは消えてしまう

朝日新聞読書欄のコラム「著者に会いたい」で、現代詩作家・荒川洋治さんの新刊書『読むので思う』を取り上げた文章(2009年1月4日掲載)に次の一節が出てきた。 《ある本について書いた文章を10年後に自分で読みかえすと、「書かなかったことは消え…

『コーラ』7号

Web評論誌『コーラ』7号が発行されました。 「哥とクオリア/ペルソナと哥」の第8章〜第10章を寄稿しています。よかったら眺めてみてください。 ●「コーラ] http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html ●哥とクオリア/ペルソナと哥 第8章 哥…