原形質と洞窟

 五連休の最終日。
 この五日間、近所の図書館に顔をだしたり、コーヒーショップで本を読んだりと、徒歩10分程度の範囲で、日に1度、1、2時間程度外出した以外は、遠出もせず、街にもくりださず、ただ黙々と部屋にこもり、深夜遅くまでパソコンにむかっていた。
 新型インフルエンザを用心して、というわけではなくて、「コーラ」への原稿をひたすら書いていた。
 「ラカン三体とパース十体」と、タイトルだけは決めていたが、中身はほとんど考えていなかった。
 関係の本を「厳選」して十数冊、机の周辺に積み重ねて、じっくり考えながら書き終える予定だった。
 でも、書いているうち、どんどん拡散していき、それにつれて「全体構想」もふくらんでいって、5日間で3万字は書いたと思うけれど、それでも全体の3分の1に届かない。
 結局、「ラカン三体」と「パース十体」の中身はいまだにつかめていない。


 ずっと、静かなピアノ曲を聞き流しながら書いていた。たとえば、グレン・グールドゴールドベルク変奏曲とか、キース・ジャレット坂本龍一のソロといった定番。
 でも、今日は、コルトレーンの響きが心地よい。
 心地よい達成感のためではない。
 『パースの宇宙論』関連の抜き書きもふくめて、ただ書き続けてきたことの肉体的・精神的な疲れと、「ラカン三体とパース十体」完成の断念にともなう静謐な哀しみ。
 連休のあいだに達成したいと考えていたことがもう一つある。
 安藤礼二著『光の曼荼羅──日本文学論』を終え、あわせて『新潮』5月号に掲載された「霊獣『死者の書』完結篇」を読むこと。
 これもいまのところ、『曼荼羅』が半分まで進んだだけ。
 この本は実に、実に、素晴らしい。最後までいっきに読んでしまうのが惜しい。


 「コートにすみれを」が、とてもいい感じで心に音楽をとどけてくれる。心が少しだけひらかれていく。
 早々にパソコンを仕舞って、残された時間を、『曼荼羅』の後半に捧げることにしよう。


     ※
 伊藤邦武著『パースの宇宙論』をめぐる話題で、どうしても書き残しておきたい話題を厳選して、二つだけ書いておこうと思っていた。
 でも、上に書いたような事情もあり、急遽、予定を変更した。
 それでも、「原形質」と「洞窟」がそのテーマだったということの痕跡だけは、残しておく。
 また機会があれば、中身を書く。