『1Q84』の四項関係のことなど

 『1Q84』(村上春樹)と『ベンヤミン精神分析──ボードレ−ルからラカンへ』(三原弟平)が同じ発行日付をもっていて、だからというわけではないが、この二つの書物はまるで双子のように一方が一方を照らし出していた。
 前回そこまで書いておきながら、後が続かないままになっている。三原本の再読が思うように進まず(いまだ最終章まで読みきれていない)、そうこうしているうち読後の印象が拡散してしまった。[*]
 村上本に関する新聞書評の切抜きが相当たまっている。じっくりと読み込み、自分自身の読前読中読後の印象と比較してみたい。「謎解き」ではなくきっちりと「解析」しておきたい。そう考えていた。
 いずれ時が満ちれば作業に取り組むことになるのではないかと思うが、それもまたしだいに億劫になりはじめている。
 先日、書店で『村上春樹の『1Q84』を読み解く』(データ・ハウス)という本をみつけた。村上春樹研究会編。中身は見ていないが、この速さはすごい。
 どんな人が書いているのかネットで検索していて、『村上春樹1Q84』をどう読むか』(河出書房新社)という本がまもなく刊行されることを知った。(もう出ているかもしれない。)
 今を代表する論客が、様々な角度から村上春樹の「1Q84」を照射し作品の謎を紐解く。この惹句にいう「論客」には、加藤典洋内田樹安藤礼二といった面々が含まれている。これはいちど読んでみたい。(例の作業は、この本を読んでからにするか。)


[*]このままではほんとうに霧散してしまいそうなので、村上本と三原本を読み終えたばかりの時に書いた文章をペーストしておく。


 『1Q84』が4分の3まできたところで、つまり「BOOK2」の第12章、ふかえりが天吾に(お祓いをするために)「こちらに来てわたしをだいて」と言うところまで読んだちょうどそのとき、にわかに(今となってはとても偶然と思えないのだが)『1Q84』と同じ発行日付をもつ『ベンヤミン精神分析』が読みたくなり、以後、二冊の書物を同時併行的に読み進め、同じ日のほぼ同じ時刻に相前後して読み終えた。
 『ベンヤミン精神分析』の第4章に、フロイトが治療に失敗した女性同性愛にかかわる二つの症例を、ラカンが「奇妙な〈愛〉の理論」をもって読解したセミネール4「対象関係」の議論が紹介されている。そこに(第一の症例でいえば、同性愛者の「娘」とその「父」と「弟」、そして娘がつきまとう「高級娼婦」の)「四項関係」という言葉が出てきて、これが「青豆」と「天吾」と「ふかえり」と「ふかえりの父」の四項関係につながっている。(ただし「天吾─ふかえり」と「青豆─ふかえりの父」の二つの世界はついに交わることがない。少なくとも「BOOK2」では。)
 しかも、ラカンの「奇妙な〈愛〉の理論」というのが「愛の贈与においては、何かが無償で与えられ、その与えられるものもまた無に他ならず」というのだから、これは青豆が天吾に与える愛の贈与のことを言っている。その青豆には同性愛的な関係を封印した親友がいる。そして『ベンヤミン精神分析』で、ボードレールにおけるレスビアン=ヒーロー仮説が論じられる。等々。
 そんなふうに、強いて関係をみつけようとするといくらでも二つの書物を関連づけることができる。観点によって見えるものが決まる。そういうわけで、村上春樹ラカン派の精神分析学で解読する(ついでに、最近関心が高まっているルーマンの社会システム論でもって解読する)という、くだらないといえばくだらないことを考えている。