2007-01-01から1年間の記事一覧

『コーラ』3号

Web評論誌『コーラ』3号が発行されました。「哥とクオリア/ペルソナと哥」の第3回を寄稿しています。よかったら眺めてみてください。 ●「コーラ」 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html ●哥とクオリア/ペルソナと哥 第3章 貫之現象学と…

永井均さんの講演

大阪大学文学部哲学・思想文化学の「ラジオ・メタフィジカ」に、永井均さんの講演録「意識の神秘は存在するか」が格納されている。 最近、岩波から刊行された『なぜ意識は実在しないのか』の序文に、「これは、…本書を「台本」として読まれる方にとって、実…

狩野永徳の屏風絵

先の土曜日(27日)、京都国立博物館の狩野永徳展に出かけた。 会場に入るのに40分並び、洛中洛外図屏風を歩きながら見るのにも行列ができていたのでこれはパスして遠くで眺め、最後の部屋でゆっくり間近で唐獅子図屏風と対面した。織田信長像と檜図屏風…

【哥の勉強】セルロイドの切れ端のような薄くて透明なもの

というわけで、さっそく山内志朗著『〈畳長さ〉が大切です』を使って「哥の勉強」を進めてみることにしようかと思ったのだが、その前に、ついさっき『宇宙を復号する』を読み終えたばかりなので、その中から印象に残った話題をひとつに限定して書いておく。 …

哲学という最も畳長な営み――『〈畳長さ〉が大切です』

山内志朗著『〈畳長さ〉が大切です』(双書哲学塾,岩波書店:2007)を読んだ。 阪神・淡路大震災の後、リダンダンシー(redundancy)という言葉をよく耳にした。基幹道路一本で地域が結びつく都市構造は脆弱で、大規模災害に弱い。平時には無駄とも思われる…

映像化されたポアンカレ予想

一昨日放映のNHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか〜天才数学者 失踪の謎〜」が面白かった。ポアンカレ予想の証明でフィールズ賞を受賞したグリゴリ・ペレリマンの謎の失踪をテーマにした「CGと実写の合成を駆使し、“天才の頭の中”を映像化す…

【大森荘蔵】ことだま論・第2節(その1)

9月25日に大森荘蔵「ことだま論」の第1節を取り上げた際、「第2節はメモを取りながらじっくり読んだので、書いておきたいこと、それを読んでいるとき私の脳髄に立ち上がりあるいは立ち現われたことがたくさんある。このことは次回にまわす。」と書いた…

限界集落

いわゆる「限界集落」の問題を考える会合に参加して、事例発表や参加者の発言を聞いて考えたこと。 ◎まず、そこに住む「人」とその「生活」がある。健康、教育、消費(利便)、文化といった基本的な生活欲求が満たされなければいけない。資産管理、しごと、…

最近買った本・読んでいる本

今日、三冊の本をまとめ買いした。 入不二基義さんの新刊が出ていると知ったので、散歩の途中、明石のジュンク堂に立ち寄り、速攻で買い求めたのが『時間と絶対と相対と──運命論から何を読み取るべきか』(勁草書房:2007)。個人的には、『相対主義の極北』…

アクロバティックなまでに複雑なモデル──『貨幣と精神』

中野昌宏『貨幣と精神――生成する構造の謎』(ナカニシヤ出版:2006)を読んだ。 ホッブス的秩序問題といわれるものがある。自由な個人が好き勝手に行動をとると、万人の万人に対する闘争に行き着くと思われるが、にもかかわらず社会に秩序がもたらされうるの…

スクリーンのなかの身体──『大人のための「ローマの休日」講義』

北野圭介著『大人のための「ローマの休日」講義──オードリーはなぜベスパに乗るのか』(平凡社新書:2007)を読んだ。とても面白い本だった。 《『ローマの休日』は、『裏窓』と同様に、五○年代という時点でハリウッドが蓄えてきていた、演技法のレパートリ…

高田純次のギャグ

昨夜のテレビで、高田純次が、「なぜ人はグラスを持つとき小指を立てるのか、それは親指を立てるとグラスが落ちるから」とギャグを飛ばして笑いを取っていた。このギャグのどこが可笑しいのだろうか。 親指以外だったら、人差し指でも中指でも薬指でも立てら…

【貫之現象学】言霊と歌の姿と私的言語をめぐるメモ

貫之現象学の実質を「言霊と聲」「歌の姿(歌体)と共感覚」「哥と私的言語」の三つの切り口から考察してみる。おぼろげにそうした見取り図を作図している。その見取り図どおりに作業が進むかどうかは実際にやってみなければわからないけれども、なんとかま…

【貫之現象学】思いに形を与えること

心と物の関係をめぐる紀貫之の歌論(古今集仮名序)を「現象学的歌論」と名付け、その実質を(永井均命名による「西田現象学」を参照しながら)考察する、というか架設してみる。そんな試みに没頭している。貫之の歌論が「心と物の関係」をめぐるものである…

【大森荘蔵】ことだま論・第1節

大森荘蔵の「ことだま論」は二つの節からなっている。 第1節「無‐意味論」では、野矢茂樹さんが著作集第四巻解説で再整理した「私(主観)が‐その赤い本(対象)を‐私の目に映った見え姿(現象)において‐見る(作用)」という(さしあたっては知覚の現場に…

【大森荘蔵】立ち現われとしての哥

大森荘蔵の「ことだま論──言葉と「もの‐ごと」」(『物と心』所収)を読んだ。 2年前にも、桑子敏雄さんが『感性の哲学』で「大森哲学の白眉」と書かれていたのに触発されて読んだことがある。今回は著作集第四巻のゆったり組まれた活字で読んだ(巻末に収…

【哲学の問題】包み込むものと包み込まれるもの

前田隆司著『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?──ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史』(技術評論社,2007)の第5章「哲学者との対話」を読んだ。「現象一元論」の哲学者・斎藤慶典との対話(「現象学」)、「ギブソニアン」の哲学者・河野哲也…

【哥の勉強】推移を経験すること/言葉の舞踏としての哥

8月29日の日記に、尼ヶ崎彬氏の「和歌を味わうとは、言葉の舞踏に引き込まれ、一足ごとに変容するイメージの旅を歩むことである」という指摘を引用した。『縁の美学』のあとがきに出てくる言葉だが、この本の冒頭に収録された論考「枠と縁──詩歌の文法」か…

【哥の勉強】万葉の心・新古今の心

8月24日の日記に、うろ覚えで、「万葉の歌人は、心を客観的にとらえ、それがあるかないかを問題にした。別離の哀しみが自分の内に生成し、いつまでもそこに留まっているのを、当の自分が自覚しているといった具合だ。ところが、古今集になると、そうした物…

【哥の勉強】哥と共感覚(色と触覚)

前回、レヴィ=ストロースの『みる きく よむ』に収められた「音と色」のことにふれた。 この話題に関連するのが、前々回の「拾い書き」で書き漏らした、大岡信著『日本語の世界11 詩の日本語』(中央公論社,1980)の第三章「反俗主義と「色離れ」──内触覚…

【哥の勉強】哥と共感覚(続)

川田順造著『コトバ・言葉・ことば──文字と日本語を考える』(青土社,2004)に、和歌の枕詞は元来、振りを伴っていたのではないかという西郷信綱の説が紹介されていた。(出典は記されていない。興味深いので、そのうち調べておこう。) この話は、『コトバ…

【哥の勉強】哥と共感覚(拾い書き)

◎歌を聴くとは、時間経験を味わうことである 《この歌[足曳きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を独りかも寝ん]の聞き手にとって、言葉の意味は素直に流れない。無意味な音[枕詞:足曳きの]に始まり、突然意味が中断し[山⇒山鳥⇒尾]、新たな話題[独り寝…

【哥の勉強】哥と共感覚

昨日書いたこととの関連で、いくつかの書物から気になった箇所を「拾い書き」しておく。 昨日書いたことというのは、三浦雅志さんの「音楽が時間芸術であるよりもはるかに空間芸術、空間の変容にかかわる芸術であることが示される。人は時間にではなくまず空…

【哥の勉強】哥と身体

8月19日付け毎日新聞の「今週の本棚」に掲載された、佐伯一麦著『ノルゲ』への三浦雅士の書評に、印象的な一節があった。 《『マルテの手記』はパリに滞在して「見ること」を学ぼうとする詩人の手記だが、それに倣えば、『ノルゲ』はオスロに滞在して「聴…

【哲学の問題】心身論、夏休みの哲学

春は自我論、秋は時間論、冬は他者論。 出来損ないの枕草子みたいだが、これは、以前書いた「夏休みのハードプロブレム」という雑文集に出てくる。出てくるというのも無責任な言い方だが、あいかわらず同じことを考えている(同じことしか考えていない)こと…

【哲学の問題】「私」とは何か、「私」とは誰か

寝覚めの夢の中で『國男・哲郎・清』の企画を練った日の午後、こんどは白日夢の中で、とりあえず『哲学の問題』という仮のタイトルを与えたもうひとつ別の本のアイデアが浮かんだので、これも忘れないうちに書いておく。 はじまりは、「私」とは何か、という…

【國男・哲郎・清】子供を連れ去る仮面神

昨日書いたことと関連して、中沢新一の「映画としての宗教 第三回 イメージの富と悪」(『群像』5月号)に、とても興味深い話題がでてくる。 マルセス・モースの『贈与論』に取りあげられたアメリカ先住民のポトラッチ(贈与のお祭り)で、ホスト役の首長の…

【國男・哲郎・清】見出された幼児体験──神に拉致される子供

坂部恵は『和辻哲郎』の第1章、和辻晩年の著作『歌舞伎と操り浄瑠璃』を取り上げた「見出された時」の後半――「和辻と柳田という一面では大きく資質を異にする二人の思想家の間には、他面また意外なほどに深い歴史的地理的出自の面でのつながりがみられるの…

【國男・哲郎・清】死者の世界への構想力

忘れないうちに書いておく。 8月11日の早朝、寝覚めの夢で、ある本の「企画」を練っていた。 その本には、柳田國男(1875─1962)、和辻哲郎(1889─1960)、三木清(1897─1945)という、播州生まれの三人の思想家が登場する。 それぞれの思想もしくは思考に…

『コーラ』2号

Web評論誌『コーラ』2号が発行されました。「哥とクオリア/ペルソナと哥」の第2回を寄稿しています。よかったら眺めてみてください。 ●「コーラ」 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html ●哥とクオリア/ペルソナと哥 第2章 貫之現象学と…