【國男・哲郎・清】死者の世界への構想力

 忘れないうちに書いておく。
 8月11日の早朝、寝覚めの夢で、ある本の「企画」を練っていた。
 その本には、柳田國男(1875─1962)、和辻哲郎(1889─1960)、三木清(1897─1945)という、播州生まれの三人の思想家が登場する。
 それぞれの思想もしくは思考に共通するものを抉り出す。あるいは、なんら共通性のないところで、この三人の思想もしくは思考をつなぐ見えない糸をみつけだす。たしかそんな趣向だった。
 かなりいいところまで考えていたように思うけれど、なにせ夢の中の出来事なので、詳細はもう記憶に残ってない。たぶん、何も思いついていなかったのだろう。


 いま、ひとつだけ手がかりがあるとすれば、それは坂部恵著『和辻哲郎』(岩波現代文庫)の副題、「異文化共生の形」という言葉のうちにある。
 この場合、「異文化」とは、この世から見たあの世、生者の世界から見た死者の世界の文化──「柳田の「山人」、折口の「まれびと」、そして、和辻の「エキゾーティックな(外から来たものらしい)珍しさ」(『和辻哲郎』233頁)──をいうものでなければならない。
 また、「共生の形」とは、「文化的身体、精神そのものとしての身体」(41頁)もしくは「生きた生活形式としての〈形〉の感覚」(47頁)のうちに表現された「構想力」(和辻の場合は「室町時代の構想力」、柳田の場合は「神話的想像力」(29頁))のあり方のことでなければならない。