【國男・哲郎・清】見出された幼児体験──神に拉致される子供

 坂部恵は『和辻哲郎』の第1章、和辻晩年の著作『歌舞伎と操り浄瑠璃』を取り上げた「見出された時」の後半――「和辻と柳田という一面では大きく資質を異にする二人の思想家の間には、他面また意外なほどに深い歴史的地理的出自の面でのつながりがみられるのである」(24頁)云々以下――で、「和辻と柳田の発想をつなぐ細い糸」(30頁)、あるいは、さしあたっては和辻における「かくされた思考の糸」(32頁)をめぐる考察をおこなっている。


《こうした[資質の]ちがいにもかかわらず、この二人の播州生まれの村のインテリ[医家]の子にあって、すでにみたそれぞれの幼児期における違和体験とあえていってよいものが、のちにともにそれぞれに一種の境界人[マージナル・マン]としてユニークな思想家に成長する素地をすくなくともなにほどか用意していることは否定できないようにおもわれる。さらにいえば、それぞれに後にまで強い印象を残した両者の幼児期における違和体験ないし脱我体験のちがいが、いまここでくわしく立ち入る余裕はとてもないとはいえ、ほとんどそのまま、二人の以後の思想展開の軌跡のちがいを正確に予料している一面をもっていることも、わたくしはきわめて興味深いとおもう。》(27-28頁)


 和辻と柳田の「資質」の違い、そして、彼らの幼児体験(「和辻の実在の神戸の親戚と、柳田の空想上の「神戸の叔母さん」」等々)の異同は措いて、サワリの部分だけ引き写しておく。
 坂部氏はそこで、「一種の自己との違和体験をもち、日常の自己を超えて拉致され、「現実よりも強い存在を持ったもの」や「超地上的な輝かしさ」をそなえた世界に出会う一種の脱我体験ないし憑依体験に近いものをもった」(33頁)和辻の体験を、「神に隠され易い子供の気質」の持ち主であった柳田のそれと比較している。


《むろん、和辻は、資質的にいってロマン派流の神秘体験へののめり込みや陶酔、ひいては王党派流の熱狂ともまったく無縁といわぬまでも、すくなくともある内面的な距離をそれらにたいして持するたぐいのひとであったから、軽々しいひきあては慎まなければならない。ここでは、むしろ、柳田とおなじく、幕末に左幕の立場をとった姫路藩の伝統を汲む地に育った和辻が、明治以後の近代国家の思想的基盤を場合によっては根底から相対化する象徴的回路につながるとおもわれる手傀儡や説経の世界に晩年になって強くひかれたという事実のはらむ意味をおもってみるべきであるのかもしれない。》(47頁)