2008-01-01から1年間の記事一覧

『コーラ』6号

Web評論誌『コーラ』6号が発行されました。 「哥とクオリア/ペルソナと哥」の第7章を寄稿しています。よかったら眺めてみてください。 ●「コーラ] http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html ●哥とクオリア/ペルソナと哥 第7章 哥の伝導体 h…

人生に必要な物語──『ゼロの迷宮』

ドゥニ・ゲジ『ゼロの迷宮』(藤野邦夫訳,角川書店)。 メソポタミア南部の都市ウルクに建造されたイナンナ神殿の女大司祭からイラク戦争下の考古学者まで、五千年の時を隔てた五つの物語に登場する同じ名と顔と声と躰をもつ主人公。 この五人のアエメール…

物理的資源・情報処理の仕事・成功基準

いま、別冊日経サイエンス『不思議な量子をあやつる』を読んでいる。よく理解できた、とはとてもいえないけれど、とにかく面白い。その冒頭論文「量子情報科学とは何か」(M.A.ニールセン/古澤明訳)に、情報科学の3つのステップとその基本的な問題が紹…

哥と共感覚・素材集(追録の2)

M.メルロ=ポンティ『知覚の現象学』から。 ◎身体は実存の凝固した形態である/発声映画/身体は語にその原初的な意味を付与する感応的対象である 「これ[両眼視の総合]を諸感官の統一の問題に適用してみよう。諸感官の統一は、一つの根源的な意識のもと…

哥と共感覚・素材集(追録の1)

M.メルロ=ポンティ『知覚の現象学』(中島盛夫訳,法政大学出版局)。「共感覚」という語が二箇所に出てくる。いずれも、第二部「知覚された世界」の「1 感覚すること」でのこと。 一度目は、メスカリン体験をめぐる記述のなかで。二度目は、「発声映画…

哥と共感覚・素材集3

共感覚と直接的に関係しないのかもしれないが、(ドゥルーズ/ガタリの「動物になること」との関連で)、リルケの「開かれた世界」もしくは「世界内部空間 Weltinnenraum」という概念が興味深い。 辻邦生著『薔薇の沈黙』によると、「世界内部空間」は(天使…

哥と共感覚・素材集2

◆リチャード・E・シトーウィック『共感覚者の驚くべき日常──形を味わう人、色を聴く人』(山下篤子訳,草思社) 「異種感覚間連合の説明をしてくれ」 「二歳の子どもを考えてください。その子に何かを見せて、それからその子を物がいっぱいある暗い場所に入…

哥と共感覚・素材集1

和歌における共感覚的表現に関連して、いくつかの書物にあたってみたので、印象に残った箇所を抜き書きしておく。 何を探っていたかというと、共感覚をキーワードに歌体論にアプローチしてみようというもの。その「成果」は、いずれ「哥とクオリア/ペルソナ…

対決―巨匠たちの日本美術

東京国立博物館の特別展「対決−巨匠たちの日本美術」を観てきた。 たっぷり時間があったけれど、2時間も経つともう限界だった。それ以上観ていたら、眼福を肥やしすぎて、日常生活に支障が出る。 帰りに、ショップで、長谷川等伯昨「松林図屏風」の横長絵葉…

定家的なもの(イタリア篇)

岡田温司著『イタリア現代思想への招待』(講談社選書メチエ)の、美学が大きな位置を占めるイタリア思想界の状況について書かれた第四章「アイステーシスの潜勢力」から、これまで抜き書きしてきた三島由紀夫の文章と、あるいはそこにおいて見え隠れしてい…

川端康成氏再説ほか──抜き書き・三島由紀夫全集31巻

「川端康成氏再説」(昭和34年)という文章から、その一部(といっても、マクラの部分を除いただけで、ほぼ全文)を抜き書きする。 あわせて、若干の補遺を加える。 ※ 氏の「雪国」や「千羽鶴」が外国で歓び迎へられたのには理由があると思ふ。たとへば西洋…

文章読本──抜き書き・三島由紀夫全集31巻

昨日につづいて、『決定版三島由紀夫全集』31巻を眺めた。 口絵に、映画「からっ風野郎」(昭和35年、増村保造監督、大映)でヤクザの名門朝比奈一家の二代目に扮した三島由紀夫と、情婦役の若尾文子とのツーショット写真が使われている。 (この映画は未見…

存在しないものの美学──「新古今集」珍解

終日、新潮社の『決定版三島由紀夫全集』31巻を眺めていた。 『豊穣の海』を書き終えたら、藤原定家をモデルにした小説を書きたい。三島由紀夫はそう語っていたらしい。その三島由紀夫が定家や新古今集について書いた文章を探していて、「存在しないものの美…

クオリアと言語と記憶と感情(5)

「抽象的」の二つ目の意味は何か。 念のために一つ目の意味を確認しておく。それは言語が構成する概念の性質をいうものだった。たとえば「言語を絶したクオリア」という概念は抽象的である。言語の世界は抽象的概念でかたちづくられている。そういうことだっ…

クオリアと言語と記憶と感情(4)

これまでのことを振り返っておこう。 池谷裕二さんが『進化しすぎた脳』に気になることを書いていた。それは次の三つの主張にまとめることができる。 1.クオリアとは抽象的なものである。 2.抽象的なものは言葉が生み出すのだから、クオリアも言葉によっ…

クオリアと言語と記憶と感情(3)

クオリアとは抽象的なものである。抽象的なものは言語が生み出すのだから、クオリアも言語によって生み出される。池谷さんのこの主張は、古典的な三段論法にのっとっている。 だから正しいといえるためには、そこで使われている言葉の定義が同じでなければな…

クオリアと言語と記憶と感情(2)

まず、クオリアが「抽象的なもの」であるという説をめぐって。 基本的に、というか最終的に、私はこの考えに賛成したい。プロの脳科学者に向かって、市井の一素人が「賛成したい」もあったものではないと思うが、これは十代の理系の中高生を相手にしたゼミで…

クオリアと言語と記憶と感情(1)

池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』(朝日出版社)に、ちょっと気になる発言が出てくる。 ある「単純な意識の実験」(脳波をモニターしながら脳の活動を調べる)によると、運動前野が動き始めて1秒も経ってから「動かそう」という意識が現われた。(リベット…

なぜ「なぜ意識は実在しないのか」と問うのか

永井均著『なぜ意識は実在しないのか』(双書哲学塾,岩波書店)。 「なぜ意識は実在しないのか」って、なんだか変な問いだと思いませんか? これが「なぜ神は存在しないのか」だったら、無神論の立場から神の不在を論証しようとしているのかなと推測できま…

大森哲学の流れとよどみ──『大森荘蔵』

野矢茂樹著『大森荘蔵──哲学の見本』(講談社)。 著者は本書で、大森哲学の「流れ」を、その源流の最初の一滴から上流・中流・下流へと、死後にも続くその「よどみ」にいたるまで、大森ゆずりの明晰簡明な言葉で語っている。 目の前にコーヒーカップが見え…

怪物の力を解き放つこと――『古代から来た未来人 折口信夫』

中沢新一著『古代から来た未来人 折口信夫』(ちくまプリマー新書)。 折口信夫は「古代人」だった。たとえば、『古代研究』冒頭の「妣が国へ・常世へ」に出てくる次の一節。 《十年前、熊野に旅して、光り充つ真昼の海に突き出た大王个崎の突端に立つた時、…

村上春樹の大長編小説──「精神的な囲い込み」と「主観の混乱」

最近無性に、村上春樹の小説を読み直したいと思うようになった。ここ数年目にふれるたび買い求めてきた村上春樹論(内田樹著『村上春樹にご用心』ほか)もけっこうたまってきたので、ついでにまとめて読みたいと思う。 『海辺のカフカ』以来となる「大長編小…

三つの時間、三つの世界

映画はいつだって三つの層からできている。三つの時間の層、三つの語りや経験の空間といってもいい。──『白いカラス』と『めぐりあう時間たち』をDVDで立て続けに観ての、これが感想。 『白いカラス』では、作家ネイサン・ザッカーマンの回想を通じてコー…

「心の歌」としての歌曲、「〈生〉の履歴」としての音楽

前回抜き書きしたリルケの二つ目の文章は、その後、マルテと同郷のデンマークの女性が、伯爵夫人に請われてイタリア語で、ついでドイツ語で歌うシーンへとつづく。 そこで、吉田秀和著『永遠の故郷──夜』(集英社)に、詩をめぐる美しい文章があったのを思い…

『マルテの手記』からの抜き書き

前回書いたこととも関連する文章を、『マルテの手記』から二つ抜き書きしておく。 《僕はものを見ることを学び始めたのだから、まず何か自分の仕事にかからねばならぬと思った。僕は二十八歳だ。それだのに、僕の二十八年はほとんどからっぽなのだ。振返って…

リルケとブローティガン

軽井沢への旅の道連れに携えたリルケの『マルテの手記』(大山定一訳)を読みながら、なにも孤独な詩人の魂の苦悩と呻吟だとか二十世紀初頭のパリの貧民の悲惨な生活だとかに思いをはせていたわけではなかった。 これはまったくの偶然なのだが、小旅行の前後…

空しさに耐える知恵──『破綻した神 キリスト』

バート・D・アーマン著『破綻した神 キリスト』(松田和也訳,柏書房)を読んだ。 人はなぜ苦しむのか。600万の無辜のユダヤ人は、なぜユダヤ人であるというだけの理由で、冷血に抹殺されなければならなかったのか。この地上で、毎日4万人の男女、子供…

雨色の記憶のなかのリルケ

中軽井沢の星のやというところで二泊してきた。 旅の道連れは新潮文庫の『マルテの手記』。宿につき温泉をはしごしてから旧軽井沢で買っておいたワインと生ハムとパンをかじりライブラリで借りたヨーヨー・マを聴きながら第一部を読み終えて寝た。 二日目は…

『コーラ』4号

Web評論誌『コーラ』4号が発行されました。「哥とクオリア/ペルソナと哥」の第4回を寄稿しています。よかったら眺めてみてください。 ●「コーラ」 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html ●哥とクオリア/ペルソナと哥 第4章 貫之現象学の…

「逆翻訳」と「逆伝達」

昨日、今日と、ジャック・デリダの『声と現象』(高橋允昭訳、理想社)に「付論」として収められた「記号学と書記学」を読んでいる。 ジュリア・クリステヴァによる五つの質問に、デリダが寄せた詳細な回答。その第一の回答文を読んでいて、思いついたことが…