哥と共感覚・素材集1

 和歌における共感覚的表現に関連して、いくつかの書物にあたってみたので、印象に残った箇所を抜き書きしておく。
 何を探っていたかというと、共感覚をキーワードに歌体論にアプローチしてみようというもの。その「成果」は、いずれ「哥とクオリア/ペルソナと哥」に反映されるかもしれないし、反映されないかもしれない。
 なお、ネットでは、他に雨宮俊彦氏の「芭蕉と共感覚」が参考になった。


小西甚一『日本文藝の詩学──分析批評の試みとして』(みすず書房


 貞享期の[芭蕉の]作品におけるトーンが禅的なものに関わりをもつとすれば、それは、イメィジの用法を検討するうえにも、すくなからぬ示唆をあたえそうである。というのも、


   海暮[く]れて鴨の声[こゑ]ほのかに白し


の「白し」などに見られる用法が、禅的な表現と無縁ではないようだからである。本来「白し」は、色彩について言われるはずの語であるのに、右の句では、鴨の「声」に対して用いられている。……
 イメィジのこういった使いかたは、欧米の批評用語で共感覚(synaesthesia)とよばれるものだが、詩に用いられたのはロマン派からであり、盛行したのはボードレールを代表とする象徴詩においてだといわれる。それより早い時期に今日感覚技法がおこなわれたかどうかは明らかでない……。そうすると、十七世紀後半に「鴨の声白し」といった類の表現が試みられたことは、まことに注目を要する現象だといってよろしかろう。
 もっとも、共感覚技法そのものは、芭蕉より前に無かったわけではない。ロバート・H・ブラワーとアール・マイナーの共著に成る『日本宮廷詩』(Lapanese Court Poetry,1961)は、和歌における共感覚の例として、


   朝あけのこほる波間[なみま]にたちゐする羽音も寒き池の群鳥[むらとり] (『玉葉』六・九四三)


などを示す。わたくしの寓目した最古の共感覚技法は、


   千代[ちよ]経たる松にはあれど古[いにしへ]の声の寒さはかはらざりけり (『土佐日記』・二月九日)


だが、ほかにも些少の例をあげることは、あまり難しくはない。しかし、芭蕉が和歌から共感覚技法をまなびとったとは、考えにくいようである。和歌の表現を採りこむ点では、俳人よりも連歌師のほうがずっと積極的だったけれど、わたくしの乏しい調査では、連歌には共感覚技法の例がまだ見つからない。……
 そこで、わたくしは、芭蕉が接する可能性のあったシナの詩にもっと直接的な拠り所を求めたい。……
 ところで、共感覚技法は、日常語のなかに融けこみ、それと意識されなくなることが稀でない。……われわれが「黄色い声」を共感覚技法だと気づきにくいようなものである。だから、共感覚技法が詩の技法として効果を示すためには、日常語法との間にそうとう「離れ」が無くてはならない。すなわち、あまり見かけない共感覚技法であることを必要とするわけだが、この「あまり見かけない」という感じは、外国語の共感覚技法であるばあい、いっそう顕著である。本国人にとってはごく日常的でも、外国人にはそれが際だちやすい。和歌における共感覚技法を最初に指摘したのがアメリカの学者だったという事実は、ひとつの好例であろう。シナ詩にそれほど共感覚技法が多いわけではないのに、室町時代の禅林詩でそれがこのまれた理由のひとつも、禅僧たちがシナ詩に本国人よりも多く共感覚技法を認めたからではなかろうか。芭蕉共感覚技法をまなんだのはシナ詩を通じてのことで、和歌ではなかったろうという推定も、やはり同じ筋あいにもとづく。(「「鴨の声ほのかに白し」──芭蕉発句分析批評の試み・1」、108-112頁)


◆藤原克己・三田村雅子・日向一雅・佐々木和歌子『源氏物語――におう、よそおう、いのる』(ウェッジ選書)


 …古代において視覚的な美しさに関して用いられることの多かった「にほふ」という言葉が、染まるという意味で用いられているということは、その視覚の内側に、一種の接触感覚が濃厚に息づいていたことを示唆しているように思われます。(藤原克己、第一章「匂い──生きることの深さへ」、40頁)


 …この詩[ボードレール万物照応 Correspondances」]は、全体を読めば明らかなように、たんに感覚的なもののみの交響を歌っているのではなく、その感覚の交響が、精神的なものとも分かちがたく融合しつつ、象徴の森としての世界の意味を啓示するものとして、歌われています。しかし、私たちの感覚とは、まさにそのようなものではないでしょうか。五感が相互に複合しているだけでなく、記憶や情念などの精神的なものとも融合している。(同、61頁)


万葉集』には、香りを詠むということじたいが少なかったのでしたが、『古今集』になりますと、むしろ好んで香りが詠まれるようになります。そしてこの変化は、『万葉』から『古今』にかけて和歌に生じた、ある大きな変化に対応しています。唐木順三氏の名著『日本人の心の歴史』(筑摩叢書・一九七六年)に、『万葉集』には「見れど飽かぬ」という言い方を代表として、「見る」という動詞がたくさn出てくるのに対して、『古今集』では「見る」が大幅に減って、代わりに「思ふ」が増えてくる、ということが指摘されていますが、まことにしかりで、古今集歌には、目の前に見えているものよるも、遠くはるかなものを思いやる──たとえば眼前に今を盛りに咲いている桜よりも、霞に隔てられている桜を思いやるとか、川面に流れる花びらを見て、水上で咲いている桜を思いやるとか、そんなふうに遠くはるかなものを思いやる、あるいは目に見えない音や香りですとか、水に映る影や夢ですとか、要するに、確かに現前するものよりも、非在のもの、非有非無のものを好んで歌うという傾向が顕著にうかがわれます。
 そのような傾向にも関わって、とくに興味深く思われる歌を二首、取り上げてみたいと思います。いずれも、紀貫之と並ぶ古今集時代の代表的歌人凡河内躬恒の歌です。(同、65-66頁)


※以下、次の二首が引かれる。


  闇がくれ岩間を分けてゆく水の声さへ花の香にぞしみける
  春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる


 前者「闇がくれ」について、藤原氏は、「目に見えないものを思いやって詠むという歌の典型ですが、と同時に、渓流の音が花の香に染まるという、のちの時代の歌人たちにたいへん好まれるようになった卿感覚表現を先取りしている点でも注目されます。」(67頁)として、藤原俊成の歌を一首あげている。


  春の夜は軒端の梅をもる月の光もかをる心地こそすれ


 また、能「東北[とうぼく]」で謡われる後者「春の夜の」をめぐって、藤原氏は次のように書いている。
「私は昔、この[下の句を引き取った]地謡の旋律を聴いていて、「こそ─ね」「やは─るる」という係り結びの音楽的な美しさに、はっと気づかされたという経験をしました。こういう助詞・助動詞のたぐいを、古来「てにをは」と言ってきましたから、これは「てにをは」から生まれる和歌の音楽、と言ってもよいでしょう。」(71頁)


大岡信『詩の日本語』(日本語の世界11,中央公論社


 この本については、以前(2007-09-08)、抜き書きしたことがあった。
 そういえば、「哥と共感覚」という作業自体、以前、やりかけていたものだった。


◆稲田利徳「共感覚的表現歌の発生と展開」
  上(岡山大学教育学部研究集録第43号)
  下(岡山大学教育学部研究集録第44号)


 古典和歌における共感覚的表現歌の発生とその後の展開の様相を、類型的な共感覚(視覚→触覚、聴覚→触覚)とこれ以外の共感覚(視覚→嗅覚、聴覚→嗅覚、聴覚→視覚、聴覚→触・視覚、嗅覚→触覚、嗅覚→触・視覚、嗅覚→視覚、触・視覚→視覚)の十組について、通史的にリサーチ。
 その結果。万葉集:類型的な共感覚は若干あるが、それ以外のケースはない。
 中古時代(古今、後撰、拾遺の三代集):万葉と同様「色→匂う」は幾首かあるが、純粋な共感覚的表現は一首も認められない。「共感覚的表現は、漢詩的な表現として、和歌の世界では忌避されたのであろうか。」
 ただし、私家集などには、共感覚的表現が若干存する。たとえば、土佐日記(二月九日)に「千代経たる松にはあれどいにしへの声の寒さは変らざりけり」がある。「ただ漢詩文の世界では、「松声→寒し」の発想がかなり早くから発生していたことを思えば、貫之の独自性を強調するのは、いささか買い被りになる。」
 ここまでのリサーチで見出された共感覚的表現の大部分は類型的共感覚で、それも視覚→触覚よりも、聴覚→触覚のケースの方が多い。
 共感覚的表現歌は、千載集(藤原俊成撰)の頃から漸次多く創作される傾向をみせ、新古今時代にピークになる(千載:7首、新古今:14首)。「新古今の新風の一端が、この共感覚的表現にもあらわれているとみてよかろう。」
 例歌をいくつか。「春の夜は軒端の梅を洩る月の光も薫る心地こそすれ」(俊成・千載・春上・二四)。「大空は梅のにほひに霞みつゝくもりもはてぬ春の夜の月」(定家・新古今・春上・四○)。「はなのかのかすめる月にあくがれてゆめもさだかに見えぬころ哉」(定家・拾遺愚草・九○七)。この嗅覚→視覚の共感覚的表現は、「彼[定家]の特許的な表現のごとき趣さえある。」
 ──以上、「共感覚的表現歌の発生と展開(上)」から。


福島章『不思議の国の宮沢賢治──天才の見た世界』(日本教文社


 賢治は月を見ると果実の匂いを感じたり(視覚→嗅覚)、音楽を聞くとさまざまな情景を眼に見たりした(聴覚→視覚)。共感覚は、躁状態にかぎらず、天才的な創造者にしばしば見られる。例えば、詩人ランボー松尾芭蕉、作曲家スクリアビンリムスキー=コルサコフらが有名である。
 共感覚についても、天才的な創造者とともに、幼児や原始人によく見られるという報告がある。また、理論的には感覚強度の亢進によって生じると考えられることは既に…示したとおりである。いずれにしても、共感覚が生じるのは、共感覚者の知覚体験が通常人より〈強く〉〈深く〉〈生命的〉だからだと考えられる。
 奇妙な譬えになるが、いわゆる健常人の感覚は、人間の身体でいえば骸骨のようなものである。そこでは、頭蓋骨や肋骨や四肢の骨を区別することができ、区別や説明には便利であるが、人間の肉体がそもそも持っていた統合性や豊穣性が失われている。
 これに対して賢治の感覚は、肉や皮膚に覆われた肉体のようなものである。その中にはあたたかな血が全身を経めぐっており、渾然一体として〈生きられた〉肉体を作り上げているのだ。(183-184頁)


※福島氏が、賢治の共感覚表現の例として挙げているのは、たとえば「いざよひの月はつめたきくだものの匂ひをはなちあらはれにけり」や「あけがたの黄なるダリヤを盗らんとてそらにさびしき匂ひをかんず」といった短歌、「春と修羅」(第一集)の「いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき/白い輝雲[きうん]のあちこちが切れて/あの永久の海蒼[かいさう]がのぞきでてゐる/それから新鮮なそらの海鼠[なまこ]の匂」など。
 これは、共感覚とは関係ないが、福島氏が引用している賢治の初期作品「竜と詩人」の一説は、興味深い。
「あのうたこそは、私のうたで、ひとしくおまへのうたである。いったい、わたしはこの洞に居て、うたったのであるか、考へたのであるか。おまへはこの洞の上にゐて、それを聞いたのであるか、考へたのであるか。おゝスールダッタ。
そのとき、わたしは雲であり風であった。そしておまへも、雲であり風であった。詩人アルタがもしのときに瞑想すれば、恐らく同じうたをうたったであらう。けれどもスールダッタよ。アルタの語とおまへの語はしとしくなく、おまへの語とわたしの語もひとしくない。韻も恐らくさうである。この故にこそ、あの歌こそはおまへのうたで、またわれわれの雲と風とを御する分の、その精神のうたである。」