2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

芭蕉・蕪村

『新々百人一首』につづき『完本 風狂始末』(安東次男)の評釈を夜毎、一句もしくは二句ずつ読んでいる。 幸田露伴、折口信夫らの諸注を「これでも学問かと云いたくなるほどひどい話で、気分で解釈はできぬものだ」(48頁)とバッサリ切りって捨てるその舌…

『美と宗教の発見』第一部

梅原猛『美と宗教の発見』(ちくま学芸文庫)が面白い。 第一部「文化の問題」に三篇、第二部「美の問題」に四篇、第三部「宗教の問題」に三篇、あわせて十篇の論文が収められている。 1967年初刊で、梅原猛の(単著としての)処女作。 生年が1925年だから、…

具体と抽象──『クオリア降臨』から

茂木健一郎『クオリア降臨』を半分ほど読んだ。 文学論としてはやっぱり疑問符だらけだが、とにかくこの人は文章が上手いのでそのあたりのことはあまり気にせず読める(読み流せる)し、細部の議論はいつもながらに面白い。 「可能性としての無限」の章に「…

『物質と記憶』(第15回)

『物質と記憶』。第三章の三節「無意識について」を読む。 「私たちは問題の核心にはまだ立ち入らないで注意だけしておきたい」(159頁)とベルクソンは冒頭に書いている。 ここでベルクソンが注意を促しているのは、意識とは存在の同義語ではなく、現実的行…

最近買った本・読んだ本

【最近買った本】その1。ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』(柴田元幸訳)。 仕事帰りにほぼ毎日立ち寄る行きつけの古書店でみつけた掘り出し物。 定価2千円が新品同様で3百円。たぶん一度は書店に並び返品されたもの。 あなたの好きな作家は…

紅葉狩り・新々百人一首・後鳥羽院

京都に紅葉狩りに出かけた。 JR山崎駅を降りて、山崎宗鑑句碑(「うずききてねぶとに鳴や郭公」)と霊泉連歌講跡碑を片目に、アサヒビール大山崎山荘美術館への坂道を急ぐ。 本館で『益子 濱田窯三代 庄司・晋作・友緒』展を観て、テラスで珈琲を啜り、安…

『ヴィーナス誕生』と『日本古典文学全集』

今日、兵庫県立美術館で催事があって、夜、館長の木村重信さんも含めた懇親の機会があった。 岩波新書の『はじめにイメージありき──原始美術の諸相』はかつての愛読書で、ぜひ著者のサインをいただきたいと思っていたのだが、あいにく手元においてなかった。…

『クオリア降臨』への違和感

昨日につづきダマシオ/スピノザのことか、美術館からの帰りに買った古本のことを書こうと思っていたけれど、茂木健一郎『クオリア降臨』を少し読んで気になったことがあるのでそのことを書く。 私は『脳とクオリア』以来の茂木健一郎ファンだが、茂木さんの…

夢日記・オランダ絵画・スピノザ

昔、夢日記をつけていたことがある。 幼い頃住んでいた家や地域の風景など繰り返し同じ夢を見ることが多くて、それが本当にそうなのか、それとも何度も同じ夢を見るという想い(体感)とともに一つの夢を見終わっただけのことなのかを確かめたいと思った。 …

界面の思考──『関係としての自己』『偶然性の精神病理』

木村敏の『関係としての自己』と『偶然性の精神病理』(岩波現代文庫)を読了。 『関係としての自己』を買ったのが5月末のこと(副読本として『偶然性の精神病理』を買ったのは7月の頭)だから、もうかれこれ半年ちかくかけて読み終えた。 じつに濃厚な時…

『物質と記憶』(第14回)

『物質と記憶』独り読書会。いよいよ第三章「イマージュの残存について──記憶力と精神」。 今日は冒頭の二節、「純粋記憶」と「現在とはなにか」を読んだ。 ここに書かれていることは、実はもうすでに知っている。 ベルクソンの叙述の進め方そのものが、叙述…

『うつし 臨床の詩学』

季節の変わり目の浅い鬱に身心の困憊を覚えはじめ、なにか心を清らかにしてくれる文章を読みたくなり、森岡正芳の『うつし 臨床の詩学』を買ったのが先月末のこと。 体調を崩して「風邪をひきました」と医師に告げ「病名を決めるのは医者の仕事だ」と説教さ…

『ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』

三日坊主という言葉がある。 何事であれ三日も続けばたいがいは全うできる。そういう意味だと理解している。 禁煙だって三日もてば立派ということ(これは違うか)。 せめて三日は連続更新しようと腹をくくってブログを立ち上げ、満願成就したので今日は一休…

『うつし 臨床の詩学』と『仮面の解釈学』

森岡正芳『うつし 臨床の詩学』読了。後味のいい本だった。 透きとほった静謐感。しんしんと降り積もった透明な雪片が、まるで無数の倍音をはらんだ音の粒子のように、自らの抽象的な重みと戯れている清涼な沈黙のざわめき(なんのことだか)。 読み終えたの…

音楽のこと

今日も音楽のことを考えている。 考えているといっても、最近の私の(哲学的)確信は「考えているのは私ではない」だから、どこかから「考え」が到来するのを辛抱強く待ちながら他人が書いた文章を読んでいる。 『ソトコト』に載っていた福岡伸一さんの「音…

開会の辞・ソトコト・音楽

ようやくブログを立ち上げた。 年初めに『超簡単! ブログ入門──たった2時間で自分のホームページが持てる』という本を買って(5分の1ほどしか読んでない)、4月から日記を書く「練習」もして、あちこちに予告して、ようやく今日立ち上げた。 デザインや…

『物質と記憶』(第13回)

ベルクソン『物質と記憶』の第二章を読み終えた。軽いハイが訪れた。 この本は音楽の様式で構成されているのではないか。全四楽章の交響曲。 冒頭に三つの仮説(「記憶力の二つの形態」「再認一般について。記憶心象と運動」「記憶から運動への漸次的推移、…

『神と自然の科学史』

ほとんどの新書、いくつかの文庫、選書、叢書の新刊は毎月書店で実物をチェックしている。 たとえば三浦展『下流社会』など立ち読みで即買と判断したものはやはりその場で買っておかないと、いつの間にかベストセラーになって内容がすっかり世に知れ渡りとう…

『御開帳綺譚』ほか

玄有宗久『御開帳綺譚』と黒沢美貴『ふしだらな左手──ルージュマジック』を購入。 『ふしだらな左手』を読了。 睦月影郎はすこし飽きてきたし、草凪優の新刊もでていたが新しい書き手を開拓したいと思った。 作者はたぶん女性だと思う。お気軽でバカっぽい設…

『生命記号論』四たび

くどいが『生命記号論』の話題。 この本の抜き書きをやり始めたら止まらなくなりそうなので、一つに限定しておく。 第9章「意識の統一 意識 脳の中の肉体の統治者」で神経生物学者ガザニガが引用されている。 「私たちの脳は、多くの知的システムが連邦と考…

『生命記号論』三たび

『生命記号論』をめぐって先週書き残した話題を続ける。 本書を読みながら、しきりに養老孟司『人間科学』を想起していた。 (そういえば『人間科学』を読み終えたときも『生命記号論』の場合と同じ物狂おしい気持ちになったものだった。 「養老孟司とはいつ…

『言葉の力、生きる力』と『美と宗教の発見』

昨日、柳田邦男『言葉の力、生きる力』を買った。 「ケータイ・ネット時代に突入して以来、情報は怒濤のように駆けめぐっているのに、言葉はイマジネーションの膨らみを失って、痩せ細った記号と化し、かけがえのない沈黙の間合いさえ、ミヒャエル・エンデの…

『物質と記憶』(第12回)

『物質と記憶』独り読書会。 第二章を冒頭からざっとおさらいして、訳書125頁から133頁まで、言葉の聴覚的再認のうち「自動的な感覚運動過程」をめぐる部分を少し気を入れて読んだ。 いまここでその内容を自分の言葉で再現できるほどに身を入れて熟読したわ…

『生命記号論』再び

昨日の『生命記号論』からの引用のうち「全ては虚空に浮かぶものから始まった」はこれだけだと何が言いたいのか(後から読み返したときに)判らないと思うので補足しておく。 ホフマイヤーがここで念頭においているのは言うまでもなくビッグバンのことだが、…

『生命記号論』

いくら疲れるといっても『生命記号論』についてはきちんと考えをまとめておかなければいけないと思う。 たとえ考えをまとめることはできなくても、この書物から受け取ったものをなんとか自分の身から出てきた言葉で反芻しておかなければいけない。 私はこの…

『多神教と一神教』その他

昨夜、大阪で某懇親会に参加。 ひさしぶりの談論風発を愉しみ、一晩ぐっすり眠って季節の変わり目の体調不良がすっかり恢復した(と思っていた)。 ひさしぶりに丸一日なんの予定も入っていない休日の朝を迎えて気力充実、読みかけの本を一掃せんと意欲を燃…