『多神教と一神教』その他

昨夜、大阪で某懇親会に参加。
ひさしぶりの談論風発を愉しみ、一晩ぐっすり眠って季節の変わり目の体調不良がすっかり恢復した(と思っていた)。
ひさしぶりに丸一日なんの予定も入っていない休日の朝を迎えて気力充実、読みかけの本を一掃せんと意欲を燃やした。
結局、読了できたのは高橋睦郎『読みなおし日本文学史──歌の漂泊』と荒俣宏『「歌枕」謎ときの旅──歌われた幻想の地へ』と本村凌二多神教一神教──古代地中海世界の宗教ドラマ』とジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論──宇宙の意味と表象』の四冊。
いずれもこれまでに九割がたは読み進めてきたものを仕上げただけのこと。
それだけですっかりくたびれてしまった。


読み終えた本はそれぞれ面白かった。
とくに『読みなおし日本文学史』と『生命記号論』は後を引く。
いろいろ抜き書きしながら考えを深めてみたいことがあったけれど、どうにもその気になれない。
星野之宣『宗像教授伝奇考』第一巻を買って少し読み、昔入手してまだ一度しか、それも断続的にしか眺めていなかった『リバー・ダンス』をじっくり通して観て(根源的な感動というと大袈裟だけれど、躰の奥底にとどく深い感銘を受けた)なんとか心身の疲れを癒した。そ
れにしてもなぜこうも疲れるのだろう。

     ※
本村凌二多神教一神教』について。
人類の文明史五千年のなかで、じつに四千年は古代なのである。
あとがきに刻まれたこの一文に、著者の古代地中海世界に寄せる思いが込められている。
淡々とした筆致で綴られたこの古代の民族や社会の概念と感性の歴史、神々と言語の物語を手にして、単なる知識や情報の入手に汲々とするのはもったいない。
できればゆったりとした時間の流れとともに、この小冊子の紙背から漂うエキゾチックな香を心ゆくまで堪能し、はるかな土地と時の人々に思いをはせてみたい。
それが同時に現代を生きる人々の、つまり私たちの心性のあるがままを遠眼鏡を通して見ることにもつながるかどうかは、また別の問題。
本書の内容をかいつまんで紹介することなどできない。
なにしろこの本自体が、紀元前一千年ごろを境に古代人の心性が大きく変化し、それとともに一神教への道が開いていったのはなぜかという一点を主題に、四千年におよぶ西洋古代の歴史を鮮やかにかいつまんでみせているからだ。