『物質と記憶』(第23回)

物質と記憶』独り読書会を再開した。
前回、「一から出直し」と書いた。
今日、三週間ぶりにようやく本を開き、とりあえず「概要と結論」の後半に目を通そうとしたけれど、まるで集中力が働かず、早々に断念。
しばらく「リハビリ」が必要かもしれない。


昨日とりあげた河野哲也著『〈心〉はからだの外にある』の第一章「環境と共にある〈私〉──ギブソンの知覚論から」を読みながら、しきりに桑子敏雄さんの議論とベルクソンのことを想起していた。
桑子さんについては、「身体の配置」や「空間の履歴」といった桑子哲学のキーワードがアフォーダンスの理論に親和的であるという、ただそれだけの単純な思いつき。
何しろ、『環境の哲学』も『西行の風景』も『理想と決断』も、それから以前、本人から送っていただいた雑誌掲載論文のいくつかも、いまだ読み終えていない。
いつかまとめて集中的に読み込むつもりなのだが、その「いつか」はなかなかやってこない。
ベルクソンアフォーダンスの関係については、實川幹朗著『思想史のなかの臨床心理学──心を囲い込む近代』に印象的な指摘がなされていた。
ここのところはとても大切だと思うので、以前書いた文章をまるごとペーストしておく。
(そういえば、ベルクソンと中世神学の関係については、ジルソンの『神と哲学』にも印象的な叙述があった。)


     ※
實川氏によると、知覚を環境との関わりの可能性ととらえる「アフォーダンス」の理論は中世以来の発想の枠組みのなかにある考えであって、百年ほど前のベルクソンによっても語られ、その後メルロ=ポンティが洗練された形で示した(『思想史のなかの臨床心理学』233頁)。
この指摘は、次の文章につけられた註のなかに出てくる。


《一三世紀のトマスにおいては、感覚は「感覚器官の現実態」なのであった。「現実態(アクトゥス)」とは、古代から中世の哲学用語である。それは「可能態(ポテンチア)」から、つまり存在の可能性だけある状態から抜け出して、存在を実現している状態を意味する。何だか古くさい、かた苦しい言葉づかいに聞こえるかもしれない。しかし、このような発想自体は、現代の西洋思想でも、あいかわらず、新しげなよそおいで続けられている。》(同72-73頁)


内田樹氏は『死と身体』で、甲野善紀氏の「人間の身体は、一瞬手と手が触れただけで、相手の体軸、重心、足の位置、運動の力、速さがわかる」という言葉と、「人間は指と指がふれた瞬間に無限の情報が伝授される」というヴァレリーの身体論を紹介している。


《一九世紀から二○世紀の初めぐらいには、運動性の記憶とか、運動性の知覚と伝達とかは、ヨーロッパではまっとうな学問として存在していた。それがなぜか一九二○年代にあらかた消えてしまう。「記憶を司るのは頭ではなく身体である。記憶は運動的なものである」というベルクソンヴァレリーの考え方が一掃され、もう誰も相手にしなくなるのです。(略)プルーストの『失われた時を求めて』では、つまずいてよろけた瞬間にありありとむかしのことを思い出すという有名なくだりがありますね。一九世紀までは、ある構えをすると身体記憶、過去の体感が、場合によっては自分自身が経験していない他者の体感がよみがえってくるというのは「常識」だったんです。それが九○年ほど前に、常識から登録抹消された。》(『死と身体』114-115頁)


この文章の最後に出てくる「自分自身が経験していない他者の体感がよみがえってくる」には強調符がついている。
これを目にしたとき、私は『思想史のなかの臨床心理学』でのある議論(第一次意識革命をめぐるもの)を想起した。
實川氏は「歴史的には、意識と物質は西洋においても古代以来、一九世紀まで一体だった」(『思想史のなかの臨床心理学』139頁)という。
ところが近代になって、臨床心理学による古代以来の「物質的な無意識」や「無意識の理性」(神の理性)に替わる新しい無意識の「発明」に先だち、物質と精神の二面をもつ中性的で根源的な(自然科学を基礎づける究極の事実としての)新しい意識が「発明」された(同142頁)。
ユダヤキリスト教的な「神の理性」の後継者としての意識が登場し(意識革命)、世界は「神の国」から「意識の国」へと変換された。


《ここで、ひとつ注意しておきたいことがある。「意識革命」が起こり、「意識の国」が築かれたとは言っても、この時代にはまだ、意識は公共のものだったという点である。すなわち、意識は個々人の内側に閉じ込められてはおらず、もちろん感覚も含めて、みなが共有できるものだった。(略)意識が、観察できない個々人の秘められた主観性だと一般に考えられるようになるのは、二○世紀になってからである。》(同143頁)