身体のなかを竜巻がかけめぐる経験

 前田英樹著『ベルクソン哲学の遺言』を半年ほどかけて断続的に読み進め、ついさきほどようやく読了した。
 『言葉と在るものの声』のときもそうだったが、前田英樹の本を読むことは、身体のなかを竜巻がかけめぐるのを経験するのに等しい。精神をカンナで削られる体験といってもいい。


《彼の言葉は、言葉自身が持つ運動、そのリズム、リズムがもたらす一種の抑揚、そうした何かと完全に一致した「意味」によって語られなくてはならない。そうした言葉は、それを受け取る者のなかに同じ波動を引き起こす。哲学者を理解するとは、このような波動を、自分のうちで経験することにほかならない。》(227頁)


 ここでいわれる「彼」とは「直観を方法とする」哲学者のことで、「彼」は直観の対象となる「持続」を、まさに「持続において思考する」。
 また「意味」について、ベルクソンは、講演「哲学的直観」(『思想と動くもの』)のなかで、「意味は考えられたものであるよりは、思考の運動です。運動であるよりは、ひとつの方向です。」と語っている。