2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧

【哥の勉強】哥と共感覚

昨日書いたこととの関連で、いくつかの書物から気になった箇所を「拾い書き」しておく。 昨日書いたことというのは、三浦雅志さんの「音楽が時間芸術であるよりもはるかに空間芸術、空間の変容にかかわる芸術であることが示される。人は時間にではなくまず空…

【哥の勉強】哥と身体

8月19日付け毎日新聞の「今週の本棚」に掲載された、佐伯一麦著『ノルゲ』への三浦雅士の書評に、印象的な一節があった。 《『マルテの手記』はパリに滞在して「見ること」を学ぼうとする詩人の手記だが、それに倣えば、『ノルゲ』はオスロに滞在して「聴…

【哲学の問題】心身論、夏休みの哲学

春は自我論、秋は時間論、冬は他者論。 出来損ないの枕草子みたいだが、これは、以前書いた「夏休みのハードプロブレム」という雑文集に出てくる。出てくるというのも無責任な言い方だが、あいかわらず同じことを考えている(同じことしか考えていない)こと…

【哲学の問題】「私」とは何か、「私」とは誰か

寝覚めの夢の中で『國男・哲郎・清』の企画を練った日の午後、こんどは白日夢の中で、とりあえず『哲学の問題』という仮のタイトルを与えたもうひとつ別の本のアイデアが浮かんだので、これも忘れないうちに書いておく。 はじまりは、「私」とは何か、という…

【國男・哲郎・清】子供を連れ去る仮面神

昨日書いたことと関連して、中沢新一の「映画としての宗教 第三回 イメージの富と悪」(『群像』5月号)に、とても興味深い話題がでてくる。 マルセス・モースの『贈与論』に取りあげられたアメリカ先住民のポトラッチ(贈与のお祭り)で、ホスト役の首長の…

【國男・哲郎・清】見出された幼児体験──神に拉致される子供

坂部恵は『和辻哲郎』の第1章、和辻晩年の著作『歌舞伎と操り浄瑠璃』を取り上げた「見出された時」の後半――「和辻と柳田という一面では大きく資質を異にする二人の思想家の間には、他面また意外なほどに深い歴史的地理的出自の面でのつながりがみられるの…

【國男・哲郎・清】死者の世界への構想力

忘れないうちに書いておく。 8月11日の早朝、寝覚めの夢で、ある本の「企画」を練っていた。 その本には、柳田國男(1875─1962)、和辻哲郎(1889─1960)、三木清(1897─1945)という、播州生まれの三人の思想家が登場する。 それぞれの思想もしくは思考に…

『コーラ』2号

Web評論誌『コーラ』2号が発行されました。「哥とクオリア/ペルソナと哥」の第2回を寄稿しています。よかったら眺めてみてください。 ●「コーラ」 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html ●哥とクオリア/ペルソナと哥 第2章 貫之現象学と…