『美と宗教の発見』第一部

梅原猛『美と宗教の発見』(ちくま学芸文庫)が面白い。
第一部「文化の問題」に三篇、第二部「美の問題」に四篇、第三部「宗教の問題」に三篇、あわせて十篇の論文が収められている。
1967年初刊で、梅原猛の(単著としての)処女作。
生年が1925年だから、40代に入ったばかりの著者の「青雲の志」がたたきこまれた書物である。
実に面白く刺激的。なによりも文章に勢いがある。
鈴木大拙和辻哲郎柳宗悦丸山真男といった権威に挑み、否をつきつける気迫がこもっている(第一部)。
歌に縫い込まれた感情の襞に分け入り、論理をもってそのエッセンス(感情の論理)を摘出する研ぎ澄まされた感性がきわだっている(第二部)。
第三部はこれから読むところだが、霊性ならぬアニミズム的生命感覚に裏うちされた日本的な宗教心性を鋭い論理の刃でもって腑分けし、しなやかで強靭な感性の投網でもってその実質を掬いあげているに違いない。


国学者たちは、ナショナルな日本の特徴を、歌道と神道に見た。この国学者たちの直観は正しいように思われる。なぜなら、明らかに歌は日本文化の中核に位し、神は日本の宗教の根源に存在しているように思われる。歌と神がどうなっているかを見ることにより、その時代の文化の大方の傾向を知ることが出来る。」(111-112頁)
第一部の第三論文「美学におけるナショナリズム」に記された文章である。
以下、「それゆえ私は、歌が、一体、明治ナショナリズムにおいてどういう姿を現わしたかを問うことによって、明治ナショナリズムの精神の実体を明らかにしようと思うのである」と続く。
正岡子規批判が始まる。
ここに出てくる「歌と神」が本書全体のテーマを要約している。
万葉集ではなく古今和歌集、禅や浄土教ではなく密教を基軸にした日本精神史。
また「明治ナショナリズム」の語が、第一部のテーマを集約している。
廃仏毀釈とともに始まり、宗教的痴呆状態に陥り、歌(王朝和歌の美学=感情の論理)を忘れた近代日本文化に対する痛烈な批判。

存在論としての日本文化を見るとき、われわれはそこに自然生命的存在論ともいうべき存在論を見る。ヨーロッパの存在論は、主として人間だけがもつ観念、あるいは精神を中心に一切の存在するものを見る存在論、すなわち観念論、あるいは物を中心として、一切の存在するものを見る存在論、すなわち唯物論かどちらかである。しかし日本の神道は、存在するものをすべて生命あるもの、生きとし生けるものとして見、この生命あるものを規範として山川から人間までの一切の存在するものを見ようとするのである。このような自然生命的存在論は、神道ばかりか、密教にも存在し、この存在論を中心にして神道と仏教が結びつくのである。われわれはこのような自然生命的存在論の伝統が、いかに深く日本の文化に浸透しているかを知らねばならないであろう。(70頁)

もしも人間の精神の発展段階を、意識、自己意識、悟性、理性というふうに考えるならば、日本の詩歌の発展史の中に、このような精神の発展段階が見られるであろう。大まかに言えば万葉集において意識の段階に立った精神は、『古今集』における自己意識と悟性の段階を経て、『新古今集』において理性の段階に達したといいうるであろう。ここで精神は、初めて永遠なもの、曰く言い難きものの前に立つのである。このように一応発展の頂点に達した精神は、もはや、より以上発展すべき道を見失うのである。定家の歌と歌論が、美の永遠の規範として徳川末期まで伝えられたのは、国学者が言うように、定家の子孫が秘伝の形で歌を私したというところにあるばかりではなく、むしろ定家において、一応、歌の精神は発展の頂上に達したからなのだろう。/子規はこのような定家の形而上学にたいして、何も知らない。(146頁)


20年以上前のことになるが、レヴィ=ストロースを招き京都で開催されたシンポジウムで「日本人のあの世観」をめぐる梅原猛の講演を聴いたことがある。
梅原猛が語っているのか、梅原猛にとりついた憑物が歌っているのか、ほとんど神懸かり状態の語り、歌と神が渾然一体となったパフォーマンスだった。
『美と宗教の発見』にもその片鱗、というか先触れの雰囲気が濃厚に漂っている。
梅原猛の語りに酔ってはいけない。陶酔しているだけでは駄目だ。
私もまた「若き」梅原猛にならって、この巨人と対決しなければならぬ。)
この世とあの世、具体と抽象、しるしとしるされるもの、象徴と象徴されるもの、等々。
梅原猛の論理=語りはこれらの二項を同時に包みこんで稼働していく。
このことはいずれ、歌体論をあつかった第二部をとりあげる際にあらためて考えてみよう。