『うつし 臨床の詩学』と『仮面の解釈学』

森岡正芳『うつし 臨床の詩学』読了。後味のいい本だった。
透きとほった静謐感。しんしんと降り積もった透明な雪片が、まるで無数の倍音をはらんだ音の粒子のように、自らの抽象的な重みと戯れている清涼な沈黙のざわめき(なんのことだか)。
読み終えたのは先の日曜だから、もう四日経っている。
すぐに感想を書かなかったのは、この作品の本歌の一つ、坂部恵『仮面の解釈学』を一瞥しておきたかったからだ。


『仮面の解釈学』は実に面白い。
その昔、読み初めて早々、叙述のあまりの深甚精妙ぶりにすっかり興奮し舞い上がってしまったことがある。
まだ機が熟していない。私自身がもう少し熟成しなければ、この本に呑み込まれてしまう。
その時はそう思って、わずか数十頁で封印した。
以後、大切に保管していたはずがいつの間にか行方不明になり、二冊目を買って常備しておいた。
今度は、終章「しるし・うつし身・ことだま」から読み始めた。実に面白い。
あまりの刺激に我を失いそうになる。なにもかも放り投げてこのまま読み耽ってしまいそうになる。
耽ってもいいのだが、そのまま揮発してしまいそうでこわくなる。
度数の高い酒を飲みこなすには体力が要る。


ほとんど酩酊状態で「しるし」五節分を読み終えて、『うつし』の多層性を帯びた構造がくっきりと浮き彫りになった。
この本は序と五つの章からなるのだが、それが「しるし」の五節、つまり「わたしたちの生死往来の場である、しるし(兆・徴・験・記・印)と著[しる]きあらわれ[現象]のことなり[差異・事成り]の境位を、究極のところで領[し]るもの」(『仮面の解釈学』176頁)の五つの相転移の様をかたどっている。
未読の「うつし身」も五節で構成されている。
これを読むともっと深く冥い世界を覗き込むことになるかもしれない。
そのまま帰ってこられなくなるかもしれない。
いまこのままで『うつし』に決着をつけておくか、もう少し『仮面の解釈学』を読み込んでからそうするか。
にえきらないままに時間が過ぎていく。