川端康成氏再説ほか──抜き書き・三島由紀夫全集31巻

 「川端康成氏再説」(昭和34年)という文章から、その一部(といっても、マクラの部分を除いただけで、ほぼ全文)を抜き書きする。
 あわせて、若干の補遺を加える。


     ※


 氏の「雪国」や「千羽鶴」が外国で歓び迎へられたのには理由があると思ふ。たとへば西洋では、どんなデカダンでも、どんなニヒリストでも、「人間的情熱」といふやうな言葉を先験的に信じてゐるとことがある。西洋では、多分キリスト教の影響だらうと思ふが、善悪の二元論をはじめとして、あらゆる反価値は価値の裏返しにすぎぬ。無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。
 私は大体、十九世紀の観念論哲学の完成と共に、西欧の人間的諸価値の範疇[はんちゅう]が出揃つたものと考へる。それ以後の人間は、どうころんだって、この範疇の外に出られないのである。たとへば情熱、たとへば理想、たとへば知性、……何でもかまはないが、人間によつて価値づけられたもののかういふ体系を、誰も抜け出すことができない。逆を行けば裏返しになるだけのことだ。
 日本の十九世紀も、かういふ人間によつて定立された価値概念をのこらず輸入した。その網羅的体系が、かりに人間主義と呼ばれるところのものである。しかし日本では、それらの価値概念は粗い網目のやうなもので、そのあひだに、ポカリ、ポカリと、黒い暗黒の穴があいてゐる。網目に指をつつこんでも、ヒヤリとする夜気[やき]にふれるだけで、そこには何もない。
 さて川端さんの小説は、かういふ暗黒の穴だけで綴[つづ]られた美麗な錦のやうなものである。西洋人はこれをよんでびつくりし、こんな穴に自分たちが落ち込んだらどうしようと心配し、且つさういふ穴の中に平気で住んでゐる日本人に驚嘆したのである。
 たとへば西洋では、ずいぶん珍奇な小説の珍奇な主人公もゐるけれど、「雪国」の島村のやうに、感覚だけを信じて、情熱などといふものを先験的に知らない人間は、その存在すら像することがむづかしいだらう。彼らは時には島村を、キリスト教の見地から、地上最大の悪人とみとめるだらう。ところが大まちがひで、島村は、心やさしいとは云へないが、感覚とその抑制とを十分に心得た、ものしづかな耽美[たんび]的享楽家なのである。
 私は大体、川端氏の文学を、明治文化の根本的批評だと考へてゐる。明治の文豪が多かれ少なかれ信じ、大正の文人が趣味的にそれに追随した、あの西欧からの輸入による人間的諸価値の概念を、全く信じてゐない文学。……しかも江戸の遊蕩[いうたう]文学の流れは少しも汲まず、戯作者の伝統からは全く外れ、多分中世の僧坊文学に直結する文学。……これは全くユニークなものであると同時に、現代文化の一つの典型的表現であり、同じ「文学による批評」であつても、永井荷風氏の“西欧的”批評とは、全く対蹠的な批評を成就した文学。……私はそんな風に氏の小説を読んでゐるのである。(231-233頁)


     ※


◎一人の俳優の中で、美とナルシシスムと悪がいかに結びつき、いかに関はりあふか、それはおそらく俳優の天分と価値とを決定する基本的な条件である。美は存在の力である。客観性の保証である。悪は魅惑する力である。佯[いつ]はりの、人工と巧智の限りをつくして、人を魅し、憑[つ]き、天外へ拉[らつ]し去る力である。そしてナルシシスムは、彼自身のなかで、美と悪とを強引に化合させる力である。すなはち、彼自体であるところのものと、彼自体ではないもの、すなはちあらゆる外界を、他人を、他人の感動と情緒とを、一つの肉体の中に塗り込めて維持する力である。かうしてはじめて俳優は、一時代の個性になり、魂になる。私は六世歌右衛門にこの三つの要素の、間然するとことのない複合体を見るのである。(「六世中村歌右衛門序説」昭和34年、259頁)


◎映画の世界で行動的なのは、監督だけだ。その意味では、映画監督は小説家に似てゐる。
 俳優といふものは、さうではない。いちばん行動から遠いものだ。
 たとへば、人が庭を右から左へ駈けて行く。なぜ駈けて行くのだらうと、誰でも考へる。忘れものをしたので駈けてゐるのだらう。だから、まつすぐ駈けるのだらうといふことになる。さういふ姿の限りにおいては、一つのアクションだが、芝居や映画の場合、庭を駈けるといふ行為は、人に命じられてゐる行為であつて、なにか忘れものをした人の演技をやつてゐるわけだから、自分の意志の問題ではない。
 ぼくは、そういふ自分の意志を他人にとられてしまつたやうな、ニセモノの行動に、非常な魅力があつて、それで俳優になりたいのだ。(略)
 ニセモノの行動が、なるたけ行動らしく見え、本モノらしく見える、ニセモノ性の強烈なのは、舞台より、なんといつても映画である。
 いちばん行動らしくみえて、いちばん行動から遠いもの、それが映画俳優の演技と考へ、ぼくはその原理に魅力を感じた。
 言葉をかへて言へば、映画俳優は極度にオブジェである。
 ぼくは、演技に自信があるとかいつて、世間に吹聴してはゐるけれども、実はそんなものはあるわけではない。ぼくは極端にいつて、映画俳優には演技など邪魔だとさへ思つてゐる。
 ぼくはなるたけオブジェとして扱はれる方が面白い。これは普通の言葉でいへば、柄とか、キャラクターとかで扱はれることで、つまりモノとして扱はれ、モノの味、モノの魅力が出てくれたら成功だと思ふ。(「ぼくはオブジェになりたい」昭和34年、296-297頁)


◎本学の法科学生であつたころ、私が殊に興味を持つたのは刑事訴訟法であつた。(略)
 半ばは私の性格により、半ばは戦争中から戦後にかけての、論理が無効になつたやうな、あらゆる論理がくつがへされたやうな時代の影響によつて、私の興味を惹[ひ]くものは、それとは全く逆の、独立した純粋な抽象的構造、それに内在する論理によつてのみ動く抽象的構造であつた。当時の私にとつて、刑事訴訟法とはさういふものであり、かつそれが民事訴訟法などとはちがつて、人間性の「悪」に直接つながる学問であることも魅力の一つであつたらう。しかも、その悪は、決してなまなましい具体性を以て表にあらはれることがなく、一般化、抽象化の過程を必ずとほつて、呈示されるのみならず、刑事訴訟法はさらにその追求の手続法なのであるから、現実の悪とは、二重に隔てられてゐるわけである。しかし、刑務所の鉄格子がわれわれの脳裏で、罪と罰の観念を却[かへ]つてなまなましく代表してゐるやうに、この無味乾燥な手続の進行が、却つて、人間性の本源的な「悪」の匂ひを、とりすました辞句の裏から、強烈に放つてゐるやうに思はれた。これも刑訴の魅力の一つであつて、「悪」といふやうなドロドロした、原始的な不定形な不気味なものと、刑訴法の整然たる冷たい論理構成との、あまりに際立つたコントラストが、私を魅してやまなかつた。
 また一面、文学、殊に私の携はる小説や戯曲の制作上、その技術的な側面で、刑事訴訟法は好個のお手本であるやうに思はれた。何故なら、刑訴における「証拠」を、小説や戯曲における「主題」と置きかへさへすれば、極限すれば、あとは技術的に全く同一であるべきだと思はれた。
 ここから私の、文学における古典主義的傾向が生まれたのだが、小説も戯曲も、仮借なき論理の一本槍で、不可見の主題を追求し、つひにその主題を把握したところで完結すべきだと考へられた。(「法律と文学」昭和36年、684-685頁)