リルケとブローティガン

 軽井沢への旅の道連れに携えたリルケの『マルテの手記』(大山定一訳)を読みながら、なにも孤独な詩人の魂の苦悩と呻吟だとか二十世紀初頭のパリの貧民の悲惨な生活だとかに思いをはせていたわけではなかった。
 これはまったくの偶然なのだが、小旅行の前後に同じ新潮文庫から出たばかりのリチャード・ブローティガン『芝生の復讐』(藤本和子訳)を読んでいて、この自伝的要素の濃い二つの作品が響き合ったのだ。
 文庫カバーの言葉を借用すると、かたや65の「断片的感想、備忘ノート、散文詩の一節、過去の追憶、目にした風物の描写、日記、手紙などを一冊にまとめあげた手記体の小説」と、かたや「囁きながら流れてゆく清冽な小川のような62の物語」とが、時と場所を隔て、そして翻訳の文体の違いを超えて、(晩年のリルケの詩境に即して言えば、「世界内面空間」もしくは「純粋空間」のうちで、あるいは、辻邦生が『薔薇の沈黙──リルケ論の試み』で使った語彙では「薔薇空間」において)とても気持ちよく響き合ったのだ。
 リルケブローティガン。孤独と憂愁の独白、追憶を経て、なにかしら建築的なもの、意志的なものへと向かう『マルテの手記』。ユーモアと「メランコリア」(藤本和子)を漂わせながら、どこかしら死後の世界の静謐と充足を思わせる『芝生の復讐』。
 たとえば『芝生の復讐』の「朝がきて、女たちは服を着る」に、「そして、ふたりはリルケの詩について長いこと話しあったが、彼女があまり詳しく知っているので、驚かされた。」とあるのをみつけて、ちょっと興奮させられる。そんな表面的なことだけではなくて、なにより、それぞれの書物の随所にちりばめられた少年時代の記憶を綴った文章が素晴らしいものだった。もちろん語り口はまったく違うし、印象も異なる。小説の中での追憶なのだから、それらは虚構の記憶なのかもしれない。
 ジョルジュ・バタイユは、「文学とは、ついにふたたび見いだされた少年時のことではなかろうか」と書いた(『文学と悪』)。この言葉を思い出すたび、ベンヤミンの「一九○○年頃のベルリンの幼年時代」を想起したものだが、これからはベンヤミンとともにリルケとブローディガンの名が浮かぶことになるだろう。


《この時になって、彼[放蕩息子]の心には大きな変化が起った。彼ははるかな神に近づこうとする日々の苦しい仕事に、ほとんど神を忘れてしまったらしい。そしていつかやがて神の手から授けられるのは、ただ「一人の人間の魂をわずかに我慢してくれる神の忍耐」だけだと思った。人々が何か重大なもののように考える運命の偶然など、彼はもうきれいに忘れてしまっていた。喜びも悲しみも、すべて付随的な甘味や苦味を失ってしまい、まるで純粋な、栄養的な成分だけになったのだ。彼の存在の根からは堅固な越冬性の植物が生え、豊かな歓喜を枝いっぱいにみなぎらしていると言ってよかった。彼は自分の内部生命をつちかうものを取り入れるのに一所懸命だった。彼は何一つ見のがさぬように気をつけた。すべてのものの中に彼の愛があり、すべてのものの中に彼の愛が少しずつ成長することを、彼はもはや疑わなかったのだ。彼の激しい内部的な覚醒は、かつてなし得なかったままのびのびになっているいちばん大切なものを、ぜひ今から取返そうと決意した。彼はまず幼年時代のことを思い出した。静かに落着いて考えれば考えるほど、それは仕残された不完全なものに見えるのだ。幼年時代の追憶にはすべて曖昧なおぼろげなものがくっついていた。しかもそれが遠く過ぎ去った過去であるために、かえってこれから訪れる未来の世界のように思われたりするのだ。もう一度自分の幼年時代を現実に引寄せてみたいという悲しい願いに、なぜ「放蕩息子」がふるさとの土を再び踏んだかの理由があるだろう。彼がそのままふるさとにとどまったかどうかは知らない。僕たちはただ、彼が一度ふるさとへ立ち帰ったのを知っているのだ。》(『マルテの手記』319-320頁)