雨色の記憶のなかのリルケ

 中軽井沢の星のやというところで二泊してきた。
 旅の道連れは新潮文庫の『マルテの手記』。宿につき温泉をはしごしてから旧軽井沢で買っておいたワインと生ハムとパンをかじりライブラリで借りたヨーヨー・マを聴きながら第一部を読み終えて寝た。
 二日目は一日中雨だった。傘をさして温泉と食事にでかけライブラリで珈琲を飲み朝刊とターシャ・テューダーの庭の写真集を二冊読み川辺で遊ぶセキレイを眺めながら歩いて帰り、それからテレビと時計がない部屋でライブラリから借りてきた村治佳織を流しながら長田弘の詩集を読んで少し午睡してまた食事と温泉に出かけ、地ビールを飲みながらマルテを少し読んで寝た。
 最後の朝は快晴だった。近くにある野鳥の森を歩きミソサザイミソサザイをねらっていた写真家とであい軽井沢高原協会と内村鑑三記念堂(石の教会)を駆け足で見物して、帰りの列車でマルテを第二部の半分まで読んだ。
 いい旅の記憶はもって帰ることができない。記憶は水面をうつ雨の気配と鳥たちの声とともにいまでもあの場所にある。


     ※
 二日目の夜、ノートの切れ端に長田弘さんの『人生の特別な一瞬』から抜き書きしておいた詩文が二つ。


 雨は、雨だけがもつ不思議な力をもっている。風景に魔法をかけるちからを、雨はもっているのだ。
 どんなによく知る風景ですら、雨が降ってくると、周りがぜんぶ雨色に染まって、その雨色のなかに、何もかもが遠のいていって、まったく知らない風景になってゆく。
 旅の雨はむしろ幸運かもしれない。(「雨色の時間」から)


 先へ先へと急ぐ物語の本や、次へ次へとみちびく情報の本ではなく、時間を静かにつかえるときでなければ読めないような本を手にする。そうして、ゆっくりと、言葉の色合いや明るさや重さを読んでゆく。
 読書のスピードはレント(緩徐調)がのぞましい。読書はすこしも急がないような読書がいい。そう言ったのは、哲学者のニーチェだった。
 よく読むこと。感じやすい指と目をもって、ゆっくりと、深く、うしろと前に気をくばりながら、よく読むこと。(「旅の書斎」から)


 旅から帰って二日目になる。いまでもリルケをゆっくりと、うしろと前に気をくばりながら読んでいる。