人生に必要な物語──『ゼロの迷宮』

 ドゥニ・ゲジ『ゼロの迷宮』(藤野邦夫訳,角川書店)。


 メソポタミア南部の都市ウルクに建造されたイナンナ神殿の女大司祭からイラク戦争下の考古学者まで、五千年の時を隔てた五つの物語に登場する同じ名と顔と声と躰をもつ主人公。
 この五人のアエメールに寄り添って物語を糾っていく男たちは、それぞれなんらかのかたちで数と計算と観測と記号の世界に(あるいは殺戮と破壊の世界に)かかわっている。ゼロの概念の発見という五つの物語に伏流する趣向はそこに由来する。
 それは性と死、破壊と復元、不妊の子宮とからっぽの墓とが交錯する、叙事詩か神話の文体で綴られた物語群が湛える静謐でどこか抽象的な幸福感の隠し味となっている。
「これはどちらかといえば、飛び越えることなんだ。おれたちから見れば、死は消えてしまうことじゃなく、生命の特殊な形式なんだよ。ないことが、あることの特殊な形式なのとおなじことさ。これでおれたちインド人が、空白の符号を考えだした理由がわかるだろう。」
 生命の特殊な形式としての物語。
 この作品が『フェルマーの鸚鵡はしゃべらない』の作者によるものだということを知らないで読むのがいい。そして、「空前のスケールで描く、壮大な数学歴史ファンタジー!」と腰巻に書かれた謳い文句は無視して読むのがもっといい。
 そういった予備知識はいっさい忘れ、物語の時間の流れに身も心もゆだねてこそ、第5章に登場する九世紀はじめのアラブ世界最大の詩人の次の言葉が生きてくる。
「われわれは大王や大聖人や、大将軍や大学者のことを、耳にたこができるほど聞かされてきた。彼らがいなくても、人生はよくも悪くもないだろうよ。必要なのは、物語作家だけだ。物語やコントや神話がなければ、われわれの人生はイヌの一生より悪くなるだろうな。」