三つの時間、三つの世界

 映画はいつだって三つの層からできている。三つの時間の層、三つの語りや経験の空間といってもいい。──『白いカラス』と『めぐりあう時間たち』をDVDで立て続けに観ての、これが感想。
 『白いカラス』では、作家ネイサン・ザッカーマンの回想を通じてコールマン・シルク教授(アンソニー・ホプキンス)とフォーニア・ファーリー(ニコール・キッドマン)の物語が語られ、その物語の中にコールマンの回想が挿入される。
 『めぐりあう時間たち』では、時代と場所を異にする三人の女性──1923年、イギリス・リッチモンドヴァージニア・ウルフニコール・キッドマン)、1951年、ロサンゼルスのローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)、2001年、ニューヨークのクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)──のある一日の出来事が重ね描かれる。
 そういった個別的なことを抜きにしても、映画はいつだって三つの層からできている。原作者と監督と観客の三つの主体。映像と映像以前と映像以後。どんな言い方でもできる。
 三つの時間、三つの世界は、多重な回路でつながっている。俳優はもちろん、監督でさえ気づかない回路があるかもしれない。誰にも気づかれないままの回路だってあるかもしれない。だから、映画は何度でも繰返し、そのつど初めて観ることができる。
 もう一つ。『白いカラス』と『めぐりあう時間たち』を続けて観て、映画は精神分析やエックス線といった「見えないことを見る」技術と同時期に誕生したという、鈴木一誌さんの言葉を想起した。
 二つの作品を通じて、ニコール・キッドマンの演技が圧倒的。