【哥の勉強】セルロイドの切れ端のような薄くて透明なもの

 というわけで、さっそく山内志朗著『〈畳長さ〉が大切です』を使って「哥の勉強」を進めてみることにしようかと思ったのだが、その前に、ついさっき『宇宙を復号する』を読み終えたばかりなので、その中から印象に残った話題をひとつに限定して書いておく。
 EPR(アインシュタイン・ポドルフスキー・ローゼン)の思考実験が本書の要をなしていて、それがエヴェレットの多世界解釈によって解明される場面が本書のハイライトをなしている。
 もちろんそんな単純な構成の本ではないし、いろいろと面白い話題はほかにもたくさんあるのだが、多宇宙(マルチ・ヴァース)の重ね合わせとその分裂という話題が、情報の伝達という観点から述べられているのがとりわけ新鮮で心に残ったのだ。(小松英雄氏がいう、平安前期の和歌や貫之の仮名序、土左日記などに見られる仮名連鎖の複線構造による多重表現の説と響き合っているようで、面白かった。あまりにベタな連想だが。)
 以下は、佳境に入るほんの少し前の箇所に出てくる文章。(ここに出てくる「セルロイドの切れ端のような薄くて透明なもの」を「仮名」と読みかえてみるといい。)


多世界解釈のシナリオで何が起こっているのかを思い描くには、私たちの宇宙をセルロイドの切れ端のような薄くて透明なものと考えるといい。重ね合わせ状態にある対象はその薄っぺらいものにうまい具合に載り、同時に二カ所に存在する。干渉縞ができるかもしれない。観測者がやってきて、たとえば電子に光子をぶつけて跳ね返らせることで電子について情報を集めると、観測者は電子を、同時に右の位置にも左の位置にもではなく、そのどちらかに見つける。コペンハーゲン解釈の支持者なら、波動関数はその時点で収縮するのだと言う。電子は、右にあるか左にあるかのどちらかを「選ぶ」というのだ。一方、多世界解釈の支持者なら、宇宙が「分裂する」のだと言う。
 神のごとき存在がもしあって、宇宙の外からこの相互作用を見守っていたとしたら、突然、この電子がある(そして観測者がいる)セルロイド宇宙が一枚のシートではなく、シートが二枚くっついたものであることに気づくだろう。電子の位置について情報が漏れ出すとき、実は宇宙の構造についての情報がもたらされている。すなわちその情報は、宇宙が二重になっていることを示しているのである。電子は、この二つの宇宙の一方では右の位置にあり、もう一方では左の位置にある。この二枚のシートがくっついているかぎり、右の電子と左の電子は同じシートにあるかのようだ。電子は同時に二カ所にあり、自分自身に干渉する。しかし、電子の位置について情報を集めるという行為によって、二枚のシートは引き剥がされ、コスモスの多層的な性格があらわになる。つまり、二枚のシートは情報が伝達されたせいで分離するのだ。》(320-321頁)