パースの閃光──伊藤邦武『パースの宇宙論』

 チャールズ・サンダーズ・パース。その生涯に1250篇近くの論文を発表(230頁)。総計は1万2千枚、加えて、未発表の草稿が少なくとも8万枚はあるという(宇波彰アブダクションの閃光」、『記号的理性批判』44頁)。
 ある研究家は、「アメリカ大陸がこれまでに生んだ最も独創的で最も多才な知性」とし、「数学者、天文学者、科学者、……、俳優、短編作家、現象学者、記号論者、論理学者、修辞学者、形而上学者」等々と、25項目を列挙している(ジョゼフ・ブレント『パースの生涯』27頁)。
 このリストの最初と最後を組み合わせた「数学的形而上学」を、パースはしばしば「宇宙論」の同義語として使った(247頁)。
 伊藤邦武氏の『パースの宇宙論』は、「相対性理論量子論が形成される以前に、物理学の根本的な革命の必然性とその方向への予感に導かれて」(3頁)構成された、パースの「多宇宙論的で進化論的な宇宙の具体的なヴィジョン」(12頁)の概要を、鮮やかな構成と論述でもって腑分けしたものだ。


 伊藤氏によると、パースの宇宙論は、「論理的反省と一種の形而上学的思弁、さらには宗教的思想によって動機づけられた、奇妙な理論的アマルガム」(3頁)であった。
 このうちの後者、「宗教的思想」をめぐる第一章「エマソンスフィンクス──「喜ばしい知識」の伝道師」で、伊藤氏は、「スフィンクスの謎」を宇宙生成と発展の論理を問うものと解釈したエマソンの詩と、ニーチェにも多大な影響を与えたその思想とを一瞥することで、19世紀前半のアメリカ、若きパースをとりまいていた「トランスセンデンタリズム(超越主義)」の精神的高揚の雰囲気を描く。
 続く第二章「一、二、三──宇宙の元素」が、パースの「論理的反省と一種の形而上学的思弁」の根本に据えられた、三つの「新ピュタゴラス主義」的カテゴリー論をとりあげる。(「それはあたかも、キューブリックの映画『二○○一年 宇宙の旅』のなかで、漆黒の宇宙空間を進む宇宙船の背後に常に流れていた、ヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウ』のように、パースの理論全体に深く、広く浸透した存在論である」(12頁)。)
 すなわち、「第一のもの」(質、偶然、潜在性、等々)、「第二のもの」(個物、法則、相互作用、等々)、「第三のもの」(普遍、媒介、総合化、等々)。


《宇宙とはその広大無辺なすべての領域と時間とを貫いて、三つのカテゴリー的元素が組み合わさって、万華鏡のようにさまざまな様相のタピストリーを現出させつづけている、目くるめくような壮麗なワルツの世界である──。これが現象学グラフ理論から導出された、パースの形式的な存在論であった。》(101頁)


 こうして、宇宙創成の論理(時間と出来事の発生の論理)である「偶然主義」(第一のもの)、その成長の理論である「連続主義」(第二のもの)、そして宇宙終局への進行の理論(「死」の理論)である「アガペー主義」(第三のもの)が導出される。
 第三章「連続性とアガペー──宇宙進化の論理」では、宇宙進化の論理(「われわれの側にある事物の状態」の展開の論理)として、後二者がとりあげられる。
 まず、連続主義。20世紀後半の超準解析の発想にも通じる、連続体と無限小をめぐる数学の議論を経て、宇宙における三つの連続体=存在領域、すなわち「質の世界・精神の世界・物質の世界」が通覧される。
 その結果、「世界は連続する精神と連続する物質からなり、さらには精神同士のあいだも、精神と物質のあいだも連続し合っている」(149頁)という、心身の連続性の世界が描出される。
 次に、アガペー主義。(それは、エマソンが重視したスウェーデンボルグ神秘主義的思想を色濃く反映するものだった。)
 パースの宇宙論の要点は、伊藤氏によって次のように総括される。「宇宙はすべてが偶然からなるために無であるとしか考えられない世界から、すべてが法則的であるために無であると見なされる世界へと移行する」(175頁)。
 すなわち、「質」=無から(「精神」を媒介として)「物質」=無へ。そのとき、パースがいうように、「精神もその無限の遠い将来において、最終的には結晶する」(176頁)。
 「神的愛の無償の自己否定的作用」にも似た、精神の自己否定による宇宙の完成(=物質的世界の体系化)。そのとき、「物質」は、「質」と同じ種類の自発性をもち、精神から出発し精神へと帰還するメビウスの環の本性をもつであろう。「アガペー」の名で語られるのは、このような精神と物質の結びつき(共感)のことである。
 第四章「誕生の時──宇宙創成の謎」では、パースの偶然主義が論じられる。ここが、本書のハイライトである。
 伊藤氏は、パース次の文章の詳細な読解を通じて、そこから発生する複雑極まりない「宇宙の誕生のロジック」を精緻に再構成していく。──「混沌とした原初的な潜在性=無」⇒「超無限次元の連続体からなる世界」⇒「(論理と時間とが結びつく世界)」⇒「(時間と質が結びつく世界)」とつづく、世界の開闢と複数世界成立の論理を。


《この不確定性の母胎から、第一の原理によって何かが生じたのだといわなければならない。われわれはこの原理を「閃光」と呼んでもよい。そして、習慣の原理によって、第二の閃光があったのだといえる。そこにはまだ時間が存在しなかったとしても、この第二の光はある意味では第一の光の後になる。というのも、それは第一のものの結果として生じたからである。……原初の閃光から帰結したこの連続性の擬似的な流れは、われわれの時間と比較したとき、次のような決定的な相違をもっている。すなわち、複数の閃光からは異なった流れが始まっていて、それらの間には共時性とか先後の継起性とかの関係が成立していないかもしれないのである。》(190-191頁)


 中世の神学と現代の量子暗号論に同時につながっていくパースの宇宙論
 伊藤氏が、パースの形而上学的冒険と神秘主義的洞察を「縮約」したこの書物に描きだしたのは、パースという巨大なカオス(知性の連続体)から一瞬発せられた閃光の鮮やかでスリリングな軌跡であった。それに続く第二の閃光は、おそらくいまだ発せられてはいない。