「表現」としての近代日本思想史──安藤礼二『場所と産霊』


 安藤礼二著『場所と産霊 近代日本思想史』(講談社、2010年7月)読了。


 素晴らしい。実に、素晴らしい。
 一昨年、『光の曼荼羅 日本文学論』に接して驚愕し、『神々の闘争 折口信夫論』を読み返しては驚嘆し、さらに雑誌掲載の「霊獣」を耽読して驚倒し、『近代論』を齧りかけたところで(消化不良を起こして)中断していた。
 『場所と産霊』も昨年、刊行直後に購入しそのままになっていた。読み始めたら最後、何も手につかなくなるとわかっていたから自粛していた。
 今は、なぜさっさと読んでおかなかったのかと後悔している。自粛などと小賢しく考えずに。そうすれば、再読、三読の愉悦を味わえただろうに。


     ※
 この書物を要約することなどできない。
 手短に概略を解説することはできたとしても、長篇小説の登場人物とその関係と粗筋を述べるようなもので、そんなことに意味はない。
 まったく意味がないわけでもないだろうが、粗筋や解説を読むことと読書そのものとはまったく異なる種類の経験である。
 そもそも誰が探偵小説の筋と結末を知りたいと思うか。誰が詩の要約など読みたいと思うか。
 要約できない論考などないのだから、この書物は論考ではない。それは論考、評論のかたちをとった「表現」である。
 いいかえれば言語による芸術作品、すなわち小説。「はじめに」で著者自身が使った言葉でいえば、「フィクション」として再構築された歴史なのだ。


 テーマは、書名のうちに端的に示されている。
 西田幾多郎の「場所の哲学」と折口信夫の「産霊(ムスビ)の神学」。この二つのものが、著者によって一つに調停される。
 以下、粗筋ではなく生きた文章(第八章「場所と産霊」)からの抜き書きで、そのプロセスを垣間見てみる。


《その類似[西田と折口の生涯の軌跡と思想形成の在り方、その可能生と不可能性までも含めた類似]は、彼らがともに学問の究極の目標として定めた「神」の問題においても、またその「神」に近づいてゆくための独特の方法においても、顕著なものがある。西田も折口も、いまここに存在する自分が、その存在のあるがまま、つまりは有限の精神と身体をもったまま、超越の時空と、すなわち無限の「神」と合一できることを願ったのである。そのためには、私(個=多様なもの)と神(普遍=一なるもの)が、それぞれ接近し合い、同一の地平を占めなければならなかった。自己と他者、私と神、多と一、個と普遍──それら、根源的に対立する二つの極が、共通の場をもつこと。そして、そこに一元的な領野が開かれること。西田も折口も、哲学と民俗学において、ただそのことだけを追求していたのだ。
 そのような一元的な地平で、対立する二つの項を一つにつなぐもの。自らの心の奥底に存在する内在の場と、神という超越の場を一つにつなぐもの。それさえも、この二人は共有してもっていた。西田にとっても折口にとっても、二項対立を徹底して無化してしまうものとは、なによりも言語だった。直接性の言語、表現性の言語、個と普遍を相互に矛盾するまま一つにつなぐ言語。西田の哲学も折口の民俗学も、この特異な言語をめぐって組織された表現についての学だった。》(195-6頁)


 西田と折口のあいだに切り開かれた一元的な地平。
 それは同時に、個と普遍を一つにつなぐ表現性の言語、「純粋言語」(209頁)のフィールドである。
 また、鈴木大拙の「霊性」と南方熊楠の「曼荼羅」とが偶然かつ必然の出会いを果たす場所であり、そこから、近代日本思想における「真に独創的な表現の系譜」(117頁)が生みだされてくる。
 さらには、「フランスとアメリカの間に切り開かれた「翻訳」という新たな表現の時空、新たな表現の地平」(30頁)へと、すなわち新旧両大陸にまたがる日本近代思想史の起源へとつながっていく。


《しかも折口の「産霊」は、その起源をたどってゆけば、平田篤胤の「産霊」にまで至る。篤胤は、キリスト教を消化し、「産霊」を中心とした宇宙生成論である『霊能真柱[たまのみはしら]』(一八一三年刊)を完成した。篤胤の同時代人に、ボードレールマラルメの詩的世界の源泉になったエドガー・アラン・ポーがいる。ポーもまた、篤胤とほとんど同じヴィジョンを用いながら自身の特異な宇宙論である『ユリイカ』(一八四八年刊)を完成した。コレスポンダンスとアナロジーの詩法の起源には、篤胤とポーの“宇宙”が存在していたのである。そこから西洋と東洋が「翻訳」によって混在する「迷宮と宇宙」の文学史がはじまることになる。
 折口の「産霊」において、大拙の「霊性」において、西田の「場所」において、一と多、外と内、超越と内在は矛盾しつつ一つに調停される。大拙の「霊性」を媒介として、折口の「産霊」と西田の「場所」を一つに重ね合わせてみること。民俗学と哲学を通底させる宗教的思惟の原型を取り出すこと。それは近代日本思想史が成立する過程そのものを捉え直すことを可能にするとともに、その到達点をも明らかにしてくれるであろう。》(194頁)


 文中の「コレスポンダンスとアナロジーの詩法」は、「詩人たちの王者」ボードレールによって導き出されたものだ。
 本書の第一部「神秘の薔薇」は、エマヌエル・スウェーデンボルグのコレスポンダンス(照応)とシャルル・フーリエのアナロジー(類似)に始まり、エドガー・アラン・ポーシャルル・ボードレールアルチュール・ランボーステファヌ・マラルメ、さらにホルヘ・ルイス・ボルヘスを経て、ウィリアム・ジェイムズやチャールズ・サンダー・パースによる「表現としての自然哲学」(94頁)とウィリアム・バトラー・イェイツによって完成されたオカルティズムという二筋の流れの合流点に、日本近代思想史の起源を見定める。
 そして、その到達点。「はじめに」に記された言葉によれば、それは、霊性曼荼羅、場所と産霊という四つの概念が「一つの身体」へと集約されていくことである。
 それはまた、「霊性と場所に媒介されて可能になった産霊の身体、曼荼羅の身体」(210頁)である。
 具体的には、折口信夫が『死者の書』に描いた両性具有の少女であり、南方熊楠が『ロンドン抜書』のうちにその手記(後に、ミシェル・フーコーによって復刻される)を書き写したある両性具有者の身体である。
 このあたりにくると、もう何がなんだか判らなくなる。だから、この書物を要約することなどできない。


     ※
 著者は「はじめに」で、本書は、「近代日本思想史をあくまで「表現」の問題から論じ、本書自体もまた一つの「表現」たらんとしている」と書いている。
 また「後記」には、次のように書かれている。

《言語表現の基本構造であると思われる類似[アナロジー]と照応[コレスポンダンス]にとり憑かれてしまった表現者たちを、まさにその類似によって一つの場所に集め、相互に照応する関係のもとに語っていく。その結果、歴史のなかで可能になりながらも、歴史を乗り越えていくような類似と照応による表現の地平を抽出できたら……。それが本書にかけられたものである。しかしながら、自分にとってまったく未知の試みであった第一部を受けた第二部「霊性曼荼羅」は、できるだけ新たな知見を盛り込みながらも、どうしてもある部分は、これまでの著作でとり上げた人物と作品を再登場させ、異なった視点から再構成するということになってしまった。霊性曼荼羅を現代に甦らせた鈴木大拙南方熊楠、そこから場所と産霊という理念を導き出した西田幾多郎折口信夫という四人の営為に寄り添っていくことが、私にとって生涯のテーマとなるのであろう。》