三つの性愛と性的身体の「かたち」

 『場所と産霊』に、三つの性愛と性的身体の「かたち」が描かれていたので、メモ(備忘録)を残しておく。


◆その一、フーリエ。性の奇癖、天使的結合。


「青年期には陽気な娼婦たちとの語らいを通して自らの性の奇癖、「女子同性愛者嗜好」(ドゥブー『フーリエユートピア』)、しかもその秘密の性愛を覗き見るという悦楽を発見し、自ら実践したフーリエ──といってもフーリエ自身はその生涯を通じて一般女性との恋愛関係、さらに性的交渉は一度も持たなかったのではないかと推測されている。それぞれ繊細で微妙な差異をもった性の奇癖者(マニア)たちが、その性の特異性のもとに自由な乱交と複婚、すなわち無限の天使的結合を繰り返す未来社会「愛の新世界」を生き生きと幻視した、孤独な独身者にして稀代のユートピスト、性と精神の革命を唱えた先駆者、偉大なる空想的社会主義フーリエ」。(16-17頁)


◆その二、イェイツ。錬金術的身体、器官に妨げられない新たな生殖性に満ちた身体、薔薇の身体。


「イェイツにとって詩作とは、不可視の霊的世界に触れ、その消息を描くことに他ならなかった。そこでは精神とともに身体も変容を遂げる。それは新たな錬金術的身体の生成であるとともに、恋愛の極致でもあった。イェイツはこう書き残している。スウェーデンボルグによれば、死者たち(つまりは天使たち)も確かに愛を営むのである。その愛の行為には、死者=天使たち二人が完全に一体化し、遠くから見るとまばゆいばかりの白熱光のように見えるものなのだ、と。」(102頁)


「そうして可能となった存在[錬金術師たちが夢見るマテリア・プリマ=賢者の石]はあらゆるものに変身することができ、またあらゆるものをそこに孕むことができるようになるだろう。中世の夢の科学を近代の詩的表現へと磨き上げること。それは器官に妨げられない、新たな生殖性に満ちた身体を作り上げることでもある。/純粋無垢な生殖性。そこにおいて高貴と猥褻は背中合わせである。その矛盾のままに、純潔でありまた淫蕩でもある「性」それ自体を象徴する、薔薇の身体。」(105-106頁)


◆その三、折口信夫南方熊楠フーコー。夢のなかの両性具有の少女、産霊の身体、曼荼羅の身体。


「そして折口はこの「古代」という時間[永遠・無限とつながることを可能にする純粋な時間の結晶体]を発生させる存在として、『死者の書』の主人公、藤原南家郎女[いらつめ]、すなわち夢のなかで自身が変容した、いわば両性具有の少女を造形した。時間が焦点を結ぶ折口の両性具有の少女……そのイメージに、さらに、折口と「同性愛」という要素を共有しながら、なかなかこれまで直接に比較対照されてこなかった南方熊楠が、大英博物館で発見した、空間が焦点を結ぶもう一人の両性具有の少女のイメージを重ね合わせなければならない。ひとりの両性具有者の身体の上で、時間と空間が、想像力と政治が一つに融合する。それが「神秘の薔薇」が変容して形になった錬金術の身体の鏡像となり、それと対をなす、霊性と場所に媒介されて可能になった産霊の身体、曼荼羅の身体を形づくるのである。」(210頁)


「多様な性の可能性のなかから、一つの性を選択し、さらには性の変身を断行し、その結果生涯を終えることになった両性具有者の生きた記録。熊楠は、アレクシナ/アベルという二つの名前と二つ性を「死」に至るまで生き抜いたエルキュリーヌ・バルバンが書き残した「生」の軌跡に、普遍が具体に宿り、多様性が個体化される様を、まざまざと見出したはずである。/そして熊楠が、この手記のすべてを自らのデータベースに書き写してからちょうど八十年が過ぎた頃、フランスの一人の哲学者が、この手記全体を新たに復刻する。さらに、それが英語に翻訳される際に、哲学者はそこに美しい序文を付すことになった。」(232頁)