パースの宇宙論と折口信夫の言霊言語論

 伊藤邦武著『パースの宇宙論』の第二章「一、二、三」に、パースが寄稿した雑誌『モニスト』の編集者ケイラスの話が出てくる。


《…『モニスト』という名前はケイラスの思想的立場を表している。モニストとは一元論者を意味するが、ケイラスはこの言葉で、唯物論や唯心論などの具体的な一元論ではなく、ただ世界全体のいっさいの事物が一つの法則に依存していて、その法則のはたらきこそが神である、という思想を意味していた。それゆえ、この雑誌の根本的な基調は、むしろスピノザ的な存在論に通じるものであり、けっして反宗教的な方向を目指したものではなかった。しかし、ケイラスは自分の思想を傍証するような思想──伝統墨守形而上学の破壊を唱えるすべての立場、とくに実証主義の流れをくむ科学の哲学──の紹介に非常に熱心であり、しかも国際的な視野から雑誌を編集しようとしていたために、結果としてマッハ、ヒルベルトラッセル、デューイなどの重要な思想家を紹介し、一九世紀末から二○世紀初頭にかけて、もっとも新しい哲学の国際的な論壇を形成することになった(わが国の鈴木大拙アメリカに渡ったとき、最初についた職はケイラスの助手であった。また、『モニスト』は一九四○年ころにいったん廃刊になるが、一九六○年代後半に再刊され、現在でももっとも有力な国際的哲学誌のステイタスを保っている)。》(『パースの宇宙論』67-68頁)


 巻末の注によると、ポール・ケイラス著、鈴木大拙訳の『仏陀の福音』なる書物があるという。


《ケイラスは鈴木との協力関係を通じて、仏教思想、とくに『大乗起信論』にもとづく一元論的かつ汎神論的な仏教宇宙論を理解するようになる一方、鈴木はケイラスを通じて、スウェーデンボルグの思想と著作に通暁するようになり、ほぼ一○年に及ぶ滞米から帰国した直後は、主としてこの思想の普及に努めることになった。鈴木の親友の西田幾多郎は、ケイラスのかたわらで働く鈴木を通じて、ジェイムズ、パース、ロイスらの思想を吸収し、それを『善の研究』へと結晶させることができた。したがって、一九世紀後半の『モニスト』編集部を十字路の交差点として、「西田と鈴木」と「ジェイムズ、パース、ロイス」という日米の二組の友人哲学者たちが思想的に接触するという、非常に興味深い出来事が生じていたのである。日本の近代哲学を考えるうえできわめて重要と思われるこの歴史的遭遇は、これまであまり掘り下げて研究されていない。次の著作はこの局面を論じた数少ない研究のひとつである(筆者によれば、折口もまた、友人の藤無染を介して、ケイラスの宗教思想に触れ、大きな影響を受けたという)。安藤礼二『神々の闘争 折口信夫論』講談社、二○○四年。》(『パースの宇宙論』242頁)


     ※
 藤無染(ふじむぜん)やケイラスのことは、安藤礼二著『神々の闘争 折口信夫論』の第二章「未来にひらかれた言葉」に出てくる。
 安藤氏は、まず、折口信夫が「国文学の発生」第一稿に描き出した「神語」の世界から語りはじめる。それは原初の「象徴」として考えられた言葉であり、「言霊」という神秘的な「力」が作用する「流動言語」であった。
 この発生状態にある言葉(言葉の「種子」)のイメージは、明治43年の大学卒業論文「言語情調論」のうちにすでに生まれていたものであり、そこで主張されているのは、言語に直接性を回復させることであった。
 こうした「象徴言語」をめぐる折口の特異な「言語学」はけっして時代から孤立したものではない。それは当時の最先端の認識論に、すなわちエルンスト・マッハの「感覚一元論」に直接結びついたものであった。
 折口は、九歳年長の友人・藤無染からマッハ哲学の真髄を教授された。その藤無染に『英和対訳 二聖の福音』という小著がある。仏教とキリスト教の根本における同一性(仏耶一元論、仏基一元論)を主張したもので、その思想を導いたのがケイラス著、鈴木大拙訳の「仏教と基督教」であった。
 このケイラスこそ、マッハの盟友であり、その主要著作の英訳を出版していた人物であった。マッハもまた『感覚の分析』で、ケイラスの『因果の小車』(芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の源泉)と『仏陀の福音』(藤無染が『二聖の福音』の巻末「跋」に記した参考文献)の二著を取り上げた。
 

《折口は、このような感覚のみがたゆたう世界のなかに、始原の言語の姿を探っていこうとする。まさにそのことによって、折口言語学は、おなじくマッハの「感覚一元論」をその起源として同時代のヨーロッパに生み落とされた、もう一つ別の「ある学問」、その学問の展開とほとんどパラレルに進行していったと考えてもよいものとなったのである。
「ある学問」、それは民族学でも、言語学でも、心理学でもない。なによりもそれはエドムント・フッサールによって創設された「現象学」である。そして、そのなかでも特にフッサールの『内的時間意識の現象学』に、折口の「言語情調論」の対応物を見出すことが可能なのである。フッサールは「現象学」という概念を、なによりもエルンスト・マッハから受け継いだのである。》(『神々の闘争 折口信夫論』78-79頁)


 安藤氏は、マッハの「感覚一元論」とフッサールの「現象学」が相克するその同じ場に、折口の「言語情調論」と、ロシア・フォルマリズム運動の詩的言語論を位置づける。
 この二つの言語論は、ともに非常に政治的な意味をもっていたが、「革命」を境に対照的な道をたどっていく。
 ロシア・フォルマリズム運動は、「未知なる言語を用いて、未知なる現実を描くこと」を原理とし、ロシア革命を芸術的に表現する運動であった。一方、折口の秘教的な言霊言語論は、革命の反動期にあって、日本の「改造」の中心となるべき昭和天皇が語る新たな権力の言語を理論化するものであった。
 折口は、「国文学の発生」第四稿以後、言語を生成させる神と、霊魂を生成させる神とを結びつける「産霊」(ムスビ)の神一元論を確立し、その「神語」論を完成させていく。「言語情調論」で夢に描いた「純粋言語」が実現する。


《折口は「純粋言語」の実現による、無数の霊魂と意味の蕩尽が、まさに純粋な贈与として、その無限の「力」を解放するということに気がついていた。この無限の力を真に活用するために、その力に一つの方向性を与えるために、ミコトモチが必要とされたのである。》(『神々の闘争 折口信夫論』99頁)


 ミコトモチとは、「神語」の「預言者」である。
 折口がイメージした(遠くイスラームの原理やネストリウス派キリスト教の原理とも結合可能な)権力の統合原理であるミコトモチは、「天皇」、それも「超−国家」への道を歩みはじめた時期の「天皇」であった。


     ※
 ケイラスとマッハの関係について、三浦雅士氏との対談「唯名論から実在論へ」(『大航海』No.60)で、伊藤氏は次のように語っている。


《ただ安藤さんのご本にはちょっと不正確なところもあって、マッハとケーラスは同じ思想だと書いてあるのですが、実際はケーラスはマッハに反対しているんですね。たしかに近親性はあるんだけれども、ケーラスは、マッハはあるところで止まってしまっているから、これではだめだと書いているんです。人間の思考を経済として捉えるのは有意義だが、その経済活動は何を目標としているのか。マッハではそれが考えられていないので実証主義にとどまってしまった。それを乗り越えていく道をケーラスは模索していた。》(『大航海』No.60,71頁)