書かざれしかば生まれざるもの

 宇波氏の「パースの対象O」をめぐる議論に、軽い違和感を覚えている。
 それは、宇波氏がいう「対象と記号のずれ」の問題が、うっかりすると、「対象O」と「記号連鎖S、S'、S''…」の二項関係をめぐる議論と取り違えられてしまわないかということだ。「解釈項Iは、実際には記号Sとは別の記号S'である」といったとたんに、三項関係を基本とするパースの思考とはまったく別の次元の話題に転じてしまうのではないか。
 このあたりのことは、最近ようやく読み終えたばかりの、伊藤邦武著『パースの宇宙論』を参考にしながら、もう少しじっくりと考えてみる必要がある。


     ※
 その『パースの宇宙論』に、安藤礼二著『神々の闘争 折口信夫論』の名が出てくる。
 このことについては、また別の機会に書くことにして、安藤礼二氏の『光の曼荼羅 日本文学論』の書き下ろし序文「死者たちの五月」を読んでいると、次の年譜が目にとまった。


  昭和二十八年(一九五三)、折口信夫の死。
  昭和二十九年(一九五四)、寺山修司の登場。
  昭和三十年(一九五五)、中井英夫、『虚無への供物』執筆を開始。


 にわかに寺山修司の短歌にふれたくなり、たまたま手元にあった『寺山修司未発表歌集 月蝕書簡』(田中未知編)を一気に読みきった。


  王国の猫が抜け出すたそがれや書かざれしかば生まれざるもの


 寺山修司の短歌、たとえば「義母義兄義妹義弟があつまりて花野に穴を掘りはじめたり」について、佐々木幸綱氏が「解説」で次のように書いている。


《短歌には、物語を抱き込む短歌と、物語を排除して、瞬間つまり時間の断面をうたう歌がある。古典和歌では藤原定家が一首の背景に物語を想像させる歌を好んだとされている。近代では、たとえば石川啄木が物語を抱え込んだ歌を多く作っている。寺山修司は、その点で啄木の強い影響を受けた。
 演歌的物語あるいは童心の物語等をいったん深く抱き込んで、シュールな色合に染める手ぎわが、寺山短歌の大きな魅力だった。具体的にいえば、物語をベースに置きながら、突出した特異な映像の発明に賭けるのである。秋の花が咲きさかる野に穴を掘る義母義兄義妹義弟。彼や彼女は何歳ぐらいなのか、何を着て何を持って何をしゃべりながら穴を掘っているのか。どんどん奇っ怪なイメージが広がる。そのイメージを楽しみながら、読者は思い切ってシュールな色に染まった物語を楽しむことができる。偽家族たちが集合して穴掘りをするにいたる物語である。》


 演歌的なあるいは童心の「物語をベースに置きながら、突出した特異な映像の発明に賭けるのである」。これを読んで、最近レンタル・ショップでみつけダビングしたままの『田園に死す』と『さらば箱舟』を観たいと思った。