Web評論誌『コーラ』42号のご案内

◆Web評論誌『コーラ』42号のご案内(転載歓迎)

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  • PDF版『La Vue』No.2(2000/06/01)<ペーパー版からの復刻です>

 ジェンダー・立ちすくむ経験   落合祥堯

 フットボールの進歩についての試論   山口秀也

 商品の呪術的性格の脱魔術化に向けて   平野 真

 ヘーゲル精神現象学』は〈超・娯楽読み物〉である   佐野正晴

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  第58章 映画/モンタージュ/記憶(その4) 

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-58.html

  第59章 映画/モンタージュ/記憶(その5) 

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  中原紀生

  映画的なもの、あるいは、「メカニカルな側面」(「知覚=移動カメラ」と

 「想起=モンタージュ」の水平軸)と「心的現象の側面」(記憶の垂直軸)、

 もしくは、変換や転換や翻訳に際して「残るもの」と「失われるもの」(牧野

 成一『日本語を翻訳するということ──失われるもの、残るもの』)の二元性

 を旨とする映画的構造をもったもの。そのひとつの典型が、この論考群で考察

 の対象(というか、素材)としてきた王朝和歌であって、このことが意味する

 のは、ここまで議論してきた事柄、すなわち、映画とは夢のパースペクティヴ

 の引用で、パースペクティヴがひらく空間の内部において、移動カメラが切り

 とったイメージ群が、遠景化(ロング・ショット)や近景化(クローズアップ

 ・ショット)、焦点移動(トラッキング・ショット)、等々の技法によってモ

 ンタージュされ、作品化され、それが観客の心的現象として投射され、感情移

 入されて、映画的なものが完成する、これら一連のプロセスが、そっくりその

 まま王朝和歌の世界にもあてはまる、ということにほかなりません。

 (Webに続く)

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  • 連載〈心霊現象の解釈学〉第20回●

  入ってはいけない部屋

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-20.html

 

  広坂朋信

  前回、J・P・サルトル存在と無』から幽霊屋敷の理論を抜き書きした。サ

 ルトルはpossedeというフランス語に「所有されている」のほかに「とり憑か

 れている」という意味もあることを活かして、幽霊屋敷とは、かつてその家宅

 を所有していた死者についての記憶が物象化したものだとした。

  一方で、これはあくまでも近世怪談の場合だが、日本の伝承では幽霊が家屋

 ・土地に憑依するケースは(皿屋敷伝説の「お菊を幽霊とするか妖怪とするか」

 問題は残るものの)、少なくとも文献上は少ない。もっとも、少ないだけで、

 無いというわけではない。これも以前紹介した『新選百物語』中の一話「思ひ

 もよらぬ塵塚の義士」で「狐屋敷」と呼ばれた廃屋に住み着いていたのは狐で

 はなく亡霊だったし、高田衛編著『大坂怪談集』(和泉書院)に収録されてい

 る「袴幽霊の話」でも化物屋敷の化物の正体は亡霊だった(この二つの話には

 何かの近縁関係があるかもしれない)。しかし、土地・家屋に憑くものは神霊

 ・精霊・妖怪だと伝えられる場合がほとんどである。

 (Webに続く)

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  • 連載「新・玩物草紙」●

  古井由吉の仮名往生試文/別役 実   

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-46.html

 

  寺田 操

  新型コロナウィルスがじわじわとしのびよる2020年2月18日、作家・

 古井由吉氏が82歳で死去された。何度目かの『仮名往生伝試文』河出書房新

 社/1989・9)を開いた。三月十七日、火曜日、曇、日付を持つ文に目を

 とめた。年末から作者は風邪をひいていて、小春日和が二日続いて、また寒く

 なったが、風邪気は抜けている。その後に続くのが「疫病流行」についての次

 の記述である。

  《疫病流行の前年とは、どんな雰囲気のものなのだろう。どんな生き心地の

 ものなのか。もちろん、疫病はいきなり始まるものではない。余剰の乏しい時

 代ならば、ほとんどかならず、不作凶作が先行するのだろう。飢饉と疫病はや

 がて区別もつかなくなる。(略)何年にもわたり、おもむろに始まるのであり、

 その前年というものはない。人の暦の段取りを待って起るものではない。》

                         (いま暫くは人間に)

 (Webに続く)

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 2020年度企画として今年度より、ネット上のWeb論考を編集部の判断により、

 適宜このサイトにリンクすることを企画いたしました。読者各位のお役にたて

 れば幸いです。

 いずれ論考数が増えてくれば、テーマ別に再編集する予定です。

 (Webに続く)

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