クオリアとペルソナ(備忘録4)

 一昨日の「備忘録3」で、西洋における「自然科学/キリスト教神学」に相当する日本の「実証思考(感覚世界)/抽象思考(概念世界)」は「歌論/仏教思想」で、「キリスト教神学」が「ペルソナ」に、「歌論」が「クオリア」に関係してくる、と書いた。
 もしそうだとすると、例の「クオリア─志向性─言語─ペルソナ」の残り二項のうち「志向性」が「仏教思想」に、「言語」が「自然科学」に関係してくることになる。と、無理やり考えてみる(「関係してくる」とは、曖昧な物言いだが)。
 これらのことと、「備忘録1」の最後に書いたこと──「クオリア=実証思考(感覚世界)+実存(エネルゲイア)」「志向性=抽象思考(概念世界)+本質(デュナミス)」「言語=実証思考(感覚世界)+本質(デュナミス)」「ペルソナ=抽象思考(概念世界)+実存(エネルゲイア)」──を重ね合わせてみる。
 その上で、たとえば歌論は「クオリア(物の心)」と「言語(表現された心)」との関係を「志向性(歌の姿)」や「ペルソナ(歌の心)」を媒介として探求するものであり、仏教思想は「志向性(言語道断、不立文字の不思議界=実相)」と「言語(現象界=諸法)」との関係を「ペルソナ(空)」や「クオリア(色)」を媒介として探求するものである、等々のまことしやかな「仮説」をでっちあげてみる。
 自然科学(自然現象を法則=数学言語で表現)やキリスト教神学(初めに言葉ありき)についても、同様の思いつきをいろいろと考案してみる。
 さらに、歌論を基点に連歌論や俳論、芸能論、とりわけ能楽論へと視野を広げ、リアルな身体(老体・女体・軍体)とイマジナリーな仮面(ペルソナ)、アクチュアルな生者(ワキ)とヴァーチュアルな死者(シテ)の四項をめぐる「複式夢幻」モデルを打ち立ててみる。
 仏教思想や自然科学やキリスト教神学についても、同様の思いつきをいろいろと考案してみる。
 無茶苦茶なことを書いているのは重々承知で、それでも、そんな概念の積み木遊戯を繰り返しているうち、ひょっとしたら誰も考えたことのない「問題」が炙り出されてくるかもしれないし、本物の「理論」が立ち上がってくるかもしれないと思う。それだけはやってみなければわからないではないか。