哲学を伝えること=独立に哲学をすること──永井均『西田幾多郎』

 西田哲学(絶対無の哲学)の核心の上に、これとは「区別することはできない」永井哲学(独在性の〈私〉をめぐる形而上学、もしくはその論理−言語哲学ヴァージョンとしての開闢の哲学)の核心を重ね描いた西田=永井哲学の「解説書」。


 言葉と独立にそれだけで意味を持ちうる生の事実(体験)と、そうした事実とは独立にそれだけで意味を持ちうる言葉(概念)という、二つのものがある。
 ほんとうは、「二つのものがある」などと言葉で表現するとおかしなことになる(言葉とは独立の生の事実を「言葉とは独立の生の事実」と言葉で表現することは、そもそも意味をなさないし、一方で、生の事実とは独立した言葉の意味としての「生の事実」は、結局のところ言葉なのだから、そこに「二つものがある」わけではない)のだけれど、それをいっちゃあおしまいなので先を急ぐ。
(また、この二つもののうち、生の事実の方が「〜がある」こと、つまり現実存在=実存にかかわり、言葉の方が「〜である」こと、つまり本質存在にかかわってくる。そして、存在をめぐるこの分岐が古典ギリシャに端を発する西洋形而上学の諸思考を産み出し、その極点において、それぞれが永劫回帰力への意志に行き着く。というのが、木田元経由で私が理解しているハイデガーの考えなのだが、だからどうなの、と質されてもそれ以上の応答ができないので、この話題はここまでにしておく。)
 話をもとにもどして、その二つのもののうち、前者の「生の事実」は、じかに体験され、意識される生々しい感じ、すなわちクオリアを伴う直接経験のことで、後者の「言葉」は、たとえば「われ思う」や「われあり」という表現のなかで語られる自己意識が、自己言及という形式的性質にすぎないように、クオリアをつかむ概念とその論理的な連関(推論)のことである、と定義することができる。
 でも、私たちの日常の経験に即して考えてみればすぐに判るように、実のところ、その二つのものは、そんなふうに綺麗に分けられるものではない。つまり、生の事実と言葉、意識(クオリアを伴った直接的意識)と自己意識(志向性を持った概念的規定)は、私たちの日常の経験のなかでは重なっている。


《自己意識なき意識が可能なのと同様、意識なき自己意識もまた可能なのである。しかし、通常、この二つはあいともなって現れると考えられている。それはなぜか。そこには実はかなり複雑な事情が介在しているのであって、本書は、西田哲学の解釈を通して、この事情の解明を目指している。》(41頁)


 西田哲学の解釈を通して、永井氏が遂行した「かなり複雑な事情」の解明は、それは実に鮮やかなもので、私は、繰り返し本書を読み返しては、何度でも初めて体験する「哲覚」的興奮に身を浸している。でも、その実質は、実地に直接体験することでしか伝わらないと思うので、ここでは、いわゆる「デカルト的コギト」から、西田的な「自己意識なき意識」(「赤の赤たることが即ち意識である」)とウィトゲンシュタイン的な「意識なき自己意識」(「われあり」と正しく判断することはできるロボットかゾンビの)が分岐していく、とあくまで骨組みを提示するにとどめておく。
 一方に、言葉なんて人工的仮定にすぎず、存在するのは主客分離以前の純粋経験だけだ(「雪舟が自然を描いたものでもよし、自然が雪舟を通して自己を描いたものでもよい。元来、物と我と区別のあるのではない」)、つまり「体験が言葉と独立にそれだけで意味を持ちうると信じている」確信犯の西田幾多郎がいて、他方に、「驚くべきことに、言葉が体験と独立にそれだけで意味を持ちうると信じている」もう一人の確信犯、ウィトゲンシュタインがいて、「そうとは知らずに、その[西田幾多郎ウィトゲンシュタインの]信仰が可能な道を切り開いた」過失犯、つまり「体験と言葉がなんの問題もなく相即することを疑おうともしなかった」デカルトがいる。
 デカルトの「われ思う、ゆえに、われあり」に出てくる「思い」の二重性(直接経験の事実としての思いと、言語的な思いの二重性)から、「思う、ゆえに、思いあり」の西田的な響き(永井氏の創作)と、「「われ思う」と語る、ゆえに、「われあり」と語るわれあり」のウィトゲンシュタイン的な響き(私の創作)が分岐し、それらは、デカルトのものも含めて、「彼思う、ゆえに、彼あり」(永井氏の創作)という人称的世界のうちにあって、それを食い破るものとして語られる(第一章)。
西田幾多郎ウィトゲンシュタインのほかに、永井氏がその「解説書」を書いたもう一人の哲学者に関する創作を加えると、そのような体験と言葉、実存と本質、あるいは、これらとはニュアンスが異なる、思いと実在、独在性の〈私〉と単独性の《私》、私と汝、等々の「相互包摂」的な関係の外部に突き進んでいったニーチェの場合であれば、それは「思いと思いと……(以下、無限に続く)……と、われありとわれありと……(以下、無限に続く)……とあり」となる。)
 このような構図の上に、二つの問題が浮かび上がってくる。第一の問題。西田のように「直接経験の事実は、ただ、言語に云い現わすことのできない赤の経験のみである」と語る哲学者が、それでは「自分の哲学をどうして言葉で語れるのか」。この問い対する永井氏の回答は、『善の研究』で西田がいう「純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を内に宿していたから」というもので、その内部構造(クオリアと概念が地続きとなる)は、『動くものから見るものへ』に収められた「場所」という論文の解釈を通じて示される(第二章)。
 第二の問題。西田は、「私と汝」(『無の自覚的限定』所収)という論文のなかで、他人と私が「言語とか文字とかいう如きいわゆる表現を通じて相理解する」「音とか形とかいう物的現象を手段として相理解する」と書いているが、そもそも「直接に結合していない私と他人がなぜ「相理解」できるのか」。(これは西田とウィトゲンシュタインに共通する問題で、デカルトニーチェの場合は、そんなことは端から問題にならない。いや、もちろん問題にはなるのだが、デカルトニーチェではまったく異なった意味合いで、問題としては実感されなかった。ただし、この丸括弧内の書き込みは、私の議論であって、永井氏の議論ではない。)
 これに対する永井氏の回答は、「西田がこの問いに答えることに成功したとは思わない(成功した人は今のところ誰もいないが)」、しかし、少なくとも、「個人(あるいは「人物」とか「人格」とか訳される英語でいう person)の成立」に関する問いに答えることで(「彼思う、ゆえに、彼あり」の成立に介在した「かなり複雑な事情」を解明することで)、「問いの意味を深めること」、すなわち「それがなぜ哲学的な問いであるのか、そのことの意味を──ひょっとすると誰よりも──深めることに成功している思う」というもの。このことは、「私と汝」の解釈を通じて示される(第三章)。


 以上が、本書のおおまかな骨組みである(小骨と、少なからぬ贅肉が付着しているが)。もちろん、こんなものを示したところで、概要説明にもなっていない。そもそも哲学書を、それも永井均が書いた本を要約することなどできない。いや、論旨をかいつまむことはできるけれど、そんなものに哲学的な意味はない(たぶん)。まして、多くは註のかたちで随所に挿入された永井哲学の、生の感触が伝わらないのは百も承知のうえで、私の心の琴線に触れた細部の叙述のいくつかに着目し、「独立に哲学をする」ための、いわば踏切台として仮設した。


(ここで、余録を一つ挿む。先にその名が出てきた西田幾多郎の三つの作品、『善の研究』と「場所」と「私と汝」は、ちょうどこれと同じ順番で、『〈私〉のメタフィジックス』と「他者」(『〈私〉の存在の比類なさ』所収)と『私・今・そして神―─開闢の哲学』という、永井均の三つの作品と響き合っているのではないか。
 また、「後期の西田は、場所の哲学を、「動く」と「見る」の区別がない、それらが一体である方向へ発展させた。後期の「行為的直観」をめぐる議論は、『善の研究』の「知即行」以来の西田哲学の本来の姿に戻った」という指摘は、これから現れるだろう「後期の」永井哲学の方向を、たとえば〈私〉と〈他者〉の区別がない、あるいは西田哲学との区別がつかない永井哲学の「本来の姿」を、あらかじめ予告しているのではないか。などと、ふと思いついたのだが、もちろんこれでは何もいっていないのと同じで、いま書いたことになにほどかの意味があるかどうかを含めて、これは今後の宿題。)