私は死ぬまでにどれだけの本が読めるだろうか

 光文社の知恵の森文庫から、丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』が出た。2001年にマガジンハウスから刊行されたもので、そのときは結局、購入しなかったけれども、以来、なんどか図書館から借りてきては、編著者の序文や、収められた21篇の書評のうち気に入ったもの、たとえばベンヤミンを扱った「エヴァがアダムを誘惑したときいったいどんな言語で誘ったのか?」などを繰り返し眺めてきた。
 書評で大事なのは、まずは本の紹介で、次に評価という機能(それに、文章の魅力も)。しかし、書評にはそれよりももっと次元の高い機能があって、「それは対象である新刊本を」肴に、ではなくて「きっかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新することである。つまり批評性」。そのためには、書評の雑誌掲載枚数が充分に与えられないといけない、云々。何度読んでも、丸谷才一の序文は面白いし、なぜかしら元気になる。
 この本を初刊時に買い求めなかったのは、それ以前(1999年)に、『鳩よ!』という雑誌で丸谷才一の文章やベンヤミンをめぐる書評などを読んだことがあって、当時はまだ掲載号を所持していたからだ。でも、それもその後の引越しや在庫処分でいつのまにか行方不明になってしまい、それに、大半の文章は未見の『SWITCH』掲載分なのだから、いつでも読みたくなったとき手にできるよう常備しておきたいと思っていた。文庫化はとても嬉しい。
(そういえば、とうに文庫化された須賀敦子の『本に読まれて』も常備しておきたいと思いながら、そのままになっている。最近になって、河出文庫版の全集第四巻に、これまたとっくに文庫化されていた『遠い朝の本たち』やその他の書評、映画評と一緒に収められていた。うっかり買い忘れていた。)
 瀬戸内寂聴の解説「ロンドンの書評家たち」に、次の文章がある。「数え八十にもなって、いよいよ残る時間が少いとせかされる心境の中で、私は死ぬまでにどれだけの本が読めるだろうかと考えないではいられない。すると、自分の机のまわりに積まれている未読の本の山を見てため息が出るのである。しかしそれでもやはり残る時間に、一冊でも多く愉しい本を読んで往きたいと思う。/もし、安心して、信頼出来る読書案内になる書評の満載された本があれば、どんなに便利だろう。」
 ほんとうに便利だろうと思う。