大徳寺黄梅院見聞抄録

昨日、小雨まじりの京都紫野にでかけ、大徳寺に数ある塔頭のひとつ黄梅院を訪れた。
特別公開最終日、靴下だけの足下からひたひたと浸透してくる冷気を気にしながら、本堂室中の雲谷等顔筆襖絵「竹林七賢図」や大徳寺開祖大燈国師の遺墨を扁額に懸けた「自休軒」(一休や利休の名が由来する)、武野紹鴎作の茶室「昨夢軒」、枯山水「破頭庭」「作物庭」、利休作の「直中庭」等々を京都古文化保存協会の学生ボランティアの解説をたよりに鑑賞した。
同行の知人が書家としても高名な黄梅院住職と面識があり、以前、「無声呼人」(声無くして人を呼ぶ)の色紙をいただいたことがある。
今回の京都行はその住職、小林太玄師からの招待を受けた一行に同伴させていただいたもの。
抹茶を頂戴して記念写真を撮影し、紫野和久傳からとりよせた鯛ちらし二段の弁当をご馳走になり、豪奢な茶室を拝見させていただき、月に一度の勉強会の末席で師の説教を聴く機会を与えていただき、松屋常盤の味噌松風をお土産にいただいた。
磊落にして剛毅な人柄で、戦国時代に生まれていれば稀代の政僧として歴史に名をとどめたろうと思った。
その後、これもまた公開最終日の聚光院、常時公開の龍源院に足を運び、夜、京都駅で住職と待ち合わせ、夕食をご一緒した。
三つの塔頭で国宝(狩野永徳の聚光院障壁画)、重文の数々に接し、住職からは大徳寺播州との深いつながりや京都経済界のこと、茶道家元批判やチタン葺きの普請のことなどいろいろなお話をうかがった。
こうした見聞を、それらは今頭のなかでぐちゃぐちゃになっているが、あたう限り印象を反芻し、調べものなどしてひとつひとつ丹念に書き残しておけばいつかきっと役に立つだろうにと思いつつ、この程度の記録でお茶を濁すしか能がない。


     ※
歌論を基軸とした芸能論を通じて日本の文化や思考の様式について考えてみたい。
考えるなどとは烏滸がましいのであって、まずは昨今ブームの「和」なるものへの心静かな入門を果たしたい。
そうした思いが日々高じている。(偶然の賜だが、師について茶の真似事を始めたりもしている。)
これに日本の建築、造形芸術への関心が重ね着されていく。
一点突破でのぞまねば、いずれ空中分解してしまう。
養老孟司の『身体の文学史』に、都市型・建築型の意識定着法(エジプトのピラミッド)と文字型・文学型の定着法(ユダヤ旧約聖書)はなぜかしら矛盾する、万里の長城焚書坑儒のごとく、といった話題がでてきた。
歌論と日本建築、歌人もしくは芸能者と宮大工もしくは庭師。
これら二つの「意識の表現」のジャンル、二つの類型の表現者に焦点をあわせ、楕円形に関心を育んでいくしかない。