『抗争する人間』

柄谷行人今村仁司『抗争する人間』の書評を書いている(朝日新聞)。
暴力に依拠する制度(共同体や国家)の廃棄可能性を「覚醒倫理」のうちに見いだす今村の議論は仏教の悟達を思わせる。
それはジラールが解決不可能な困難を執拗に示すとき、暗黙裏にカトリックという救済装置をもっていたことと似ていて、根本的には保守派の議論である。
「著者の今村氏もそうなのか。あるいはそうではないのか。本書では、その辺がまだ不明瞭である。」
保守派の議論だとしたらどうなのか。悪いことなのか。
柄谷氏の文章では、その辺がまだ不明瞭である。
冗談はおいて、この本も買ったきりで一月以上手つかずのままだった。すっかり読んだ気になっていた。
本書の姉妹編『交易する人間』は面白かった。
ちょっとできすぎていて、読後意図的に熱を冷まさなければならなかった。
だから『抗争』も読む時を選ばないといけないと思っている。
夜、『仁義なき戦い 頂上作戦』と『仁義なき戦い 完結篇』を観て寝た。