『キリスト教は邪教です!』

ニーチェ『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教邪教です!』読了。
「はじめに自己紹介をいたします。私は言ってみれば、北極に住んでいるのです。」
既訳本と読み比べたわけではないが、これほど一気に読みきることができるニーチェ本、いや哲学書はない。
ほとんど小室直樹の文体で綴られた(字義どおりの)啓蒙書。啓蒙書というよりはプロパガンダ本。
ここで主張されていることは箇条書きにすれば数行でおさまる。
キリスト教は病気です。
パウロは「憎しみの論理」の天才です。
僧侶は嘘つきです。
エス仏陀です。
キリスト教に魂を汚されてはなりません。
高貴に生きましょう。
キリスト教に鉄槌を! 
湯山光俊さんが『はじめて読むニーチェ』の中で、ニーチェは読むものとしてではなく聞くものとして文章を書いている、その文体は音楽がもたらす効果と同じものを読者にもたらすと指摘している。

…公共の場における演説というものの重要性を彼は見直していました。古代の広場における演説はまさに聞くものとしての、記号のテンポと身振りをもつ文体があったのです。それは生きた言葉であり、語るものの情動の動きをそのままに音楽のように表現しうるものでした。(156頁)

『アンチクリスト』はまさに歌うように語られた扇動の書物。
ひとつの「気分」を直接に読者の脳髄に立ち上げる演説であり説教である。
密儀としての、あるいはダンスとしての読書。
この本は、ドゥルーズの「ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ」(『批評と臨床』第6章)を経てロレンスの『黙示録論』につながっていく。
ドゥルーズのエッセイはかつて『現代思想』の増刊号(ドゥルーズ特集)で読んだ。
『黙示録論』は福田恆存訳の『現代人は愛しうるか』(中公文庫)を読んだ。
どちらにも深い感銘を受けた。
ここ数年の懸案事項だった『ギリシア悲劇』も読もうと思った。