丸谷才一

丸谷才一『綾とりで天の川』購入。
丸谷才一さんの文章に惹かれている。
文藝という言葉がこの人ほど似つかわしい現役作家、評論家、書評家、エッセイスト、要するに物書きはいないと思う。
昨年、一年遅れで『輝く日の宮』を読んでしっとり陶酔した。
この人の小説はずっと前に『横しぐれ』と『樹影譚』を読んだきりで、いずれも忘れがたい読後感。
とくに『樹影譚』を読んだ時の濃い印象はいまでも残り香のように漂っている。
(と書きながら気がついたことだが、この印象はどことなく保坂和志の『この人の閾』を思わせる。)
その後、新潮文庫版の『新々百人一首』をほぼ毎晩一首分ずつ読んでは言語にまつわる感覚や感性や情感、というよりも言語表現の母胎である躰のあり様そのものが更新される(エロティックと形容してもいいほどの)思いを味わい堪能し、ため息つきながら就眠する一時期をすごしたが、上巻の半分ほどまで進んだところでにわかに雑用が錯綜し精神が混濁しはじめたので中断してしまった。
朝日新聞に月一で連載されている「袖のボタン」はその一篇一篇がまことに上質で藝が細かく、かつ洒脱悠然と蘊蓄を傾ける筆法が熟しきっている。
翻訳も素晴らしい。
アイリス・マードックの『鐘』が素晴らしかったのは丸谷才一の文章によるのではないかと、これは後になって気がついた。
翻訳といえば『ユリシーズ』が全三巻の真ん中あたりで中断したままになっているが、これも素晴らしい文章だった。
丸谷才一さんの文章のどこがどう素晴らしいのかは言葉では説明できない。
名文はただ読み、ひたすら読み、時に書き写して眼と頭と心と躰にたたきこむしかない。
文章読本』に確かそんな趣旨のことが書いてあった。
その影響もあって、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」と開高健の『白いページ』を繰り返し読み込み、富山房百科文庫版の石川淳『夷斎筆談』を書き写したりしたこともあった。
それと気づかぬうちに丸谷才一さんの門下生になっていた。
書評やエッセイも素晴らしい。
これまで新聞や週刊誌や月刊誌での拾い読みで充分堪能してきたが、一度自腹を切って新刊書を買い求め、とことん咀嚼玩味消化吸収してみようと思った。
『綾とりで天の川』は『オール読物』連載のエッセイを集めたもの。
掲載紙のキャラクターに応じて自在に文体を変えながら、その実頑固なまでに文章の骨法を揺るがせない。
凛とした姿勢と柔らかな息遣いが素晴らしい。
(まことに手放しの絶賛につぐ絶賛でわれながら気持ちがいい。)