『『悪霊』神になりたかった男』ほか

亀山邦夫『『悪霊』神になりたかった男』を読了。
スタヴローギンの「告白」という「いくつもの真実を同時に隠しもつ、永遠に解くことのできない、開かれたテクスト」(146頁)に仕掛けられた、あるいは隠蔽されたさまざまな謎──「告白」の文体はなぜ「壊れている」のか、母親に鞭打たれながらマトリョーシャはなぜ「奇妙な声をあげて」泣いていたのか、なぜルソーの名が出てくるのか、スタヴローギンの世界遍歴の謎(ゲッテインゲンでまる一年聴講したのは誰の講義だったのか、最後に行ったアイスランドで何を見たのか)、マトリョーシャ=スタヴローギンはなぜ縊死したのか、等々──をくねくねと迂回しながら解明しつつ「ドストエフスキー文学のはかり知れぬ恐ろしさ」すなわち「意識という恐ろしさ、内なるポリフォニー(多声性)の地獄」(127頁)に迫る。
そしてスタヴローギン的な狂気=ニヒリズム、すなわち世界をたんに見る対象として突き放す「神のまなざし」の傲慢さへと解きいたる(158頁)。
「九月十一日、神は死んで、人々が神になった」。


東京新聞取材班『破綻国家の内幕』を読了。
ついでにウッドハウス暎子『日露戦争を演出した男 モリソン』下巻と福岡伸一『もう牛を食べても安心か』と柳田邦男編『阪神・淡路大震災10年』と青木和夫他『古典の扉 第1集』と日向一雅『源氏物語の世界』と廣野由美子『批評理論入門』を読了。
ほんとうはどれも最後まで完璧に読み切ってはいないけれど、もうたぶん読むことはないだろうと思ってこの際「棚卸し」をすることにした。
福岡伸一さんの本は『ソトコト』の連載で断片的に語られていたことの集大成で、ほとんど思想書
『古典の扉』では養老孟司さんの『解体新書』と木田元さんの『存在と時間』も面白かったけれど(いつにかわらぬ養老節と木田節)、『ドン・キホーテ』への関心が高まったのが思わぬ拾いもの。
源氏物語の世界』は源氏物語という「複数の主題を重層させる小宇宙であり、多義的多面的な構造の作品」(9頁)の世界を垣間見せてくれた。
ひところ大切に読み進めていたのだが、源氏没後の匂宮や薫や浮舟の物語をパスしてしまった。
いつか読むかもしれない。
『Wの悲劇』に続いて『セーラー服と機関銃 完璧版』を観た。
これもほぼ二十年ぶり。やや冗長で間延びした感じ。