『僕が批評家になったわけ』

加藤典洋さんの『僕が批評家になったわけ』を買った。
「ことばのために」という(ちょと趣旨のつかみにくい)叢書の一冊。
編集委員の顔ぶれ(荒川洋治加藤典洋関川夏央高橋源一郎平田オリザ)はとてもいいと思う。
でも結局この五人がそれぞれ本を一冊ずつ書くのだったらわざわざ「編集委員」と名乗ることもないのに。
その編集委員を代表して加藤典洋さんが書いた趣意書の中にこの叢書は「世の小学生以上の広範な読者の前に、差し出されるのです」とあるから、これもまたみすず書房の「理想の教室」やちくまプリマー新書の仲間なのだろう。
先月出た本を今頃になって買い求めたのは、書店でぱらぱらと拾い読みをしていて「ムッシュー・テスト」(ヴァレリー)と「徒然草」だとか、「電子の言葉」と内田樹と「徒然草」だとかの話題が目についたからで、要するに加藤典洋と「徒然草」の取り合わせに惹かれた。

 誰もいない。部屋の壁に貼られた反古がはがれかかり、また机の上に残された写経が開けられた戸口から吹く風にめくられる。おや、裏に何か書きつけられているみたいだぞ。
 彼らはふすまを外す。それを丁寧にはがす、また写経の紙片を集める。
 もし、それを集積したものが、『徒然草』になったのだとしたら──。
 そうだとしたら、ここには先に述べた、ことばで出来た思考の身体としての批評というものの、ふつうわれわれが理解しているものの対極の像が、屹立している、ことになるのではないだろうか。(39頁)