音楽について

一昨日『セロニアス・モンク』を観て、久しぶりに1枚だけ持っていたモンクのCDを聴いた。
モンクを聴くのが久しぶりだという以上に、そもそも音楽を(何か他のことをしながらではなく)聴くのが実に久しぶりだった。
音楽を聴くのは文字を読むのとは違う体験である。そんなあたりまえのことを忘れかけていた。
東芝EMIの『ベスト・クラシック100』を買った。
CD6枚組みで「超有名曲」のさわりを100曲、7時間分収録したオムニバス。
『ベスト・ピアノ100』や『ベスト・モーツアルト100』も出ていた。
先日東京でお会いした山瀬理桜さん(ハルダンゲル・ヴァイオリニスト)の『クリスタル ローズ ガーデン』も目について大いに迷ったが、これは(心を鬼にして)次回にまわすことにして初志を貫徹した。
楽曲の一部だけをパッチワーク状につなぎあわせたCDなど、一昔前だと絶対目もくれなかったと思う。
小林秀雄が『音楽について』(新潮CD)の中で語っている言葉を聴いて心を入れ替えた。
というより音楽というものに対する考え方、感じ方がガラッと変わった。
丸谷才一さんの詞華集を軸にした日本文学史の説に説得された目で、いや耳で聴くと、この西洋音楽版「百人一首」の部立て、配列、趣向がどう響くか。)

どっかの温泉場でもってラジオでショパンマズルカが鳴ってきたとする。三小節ぐらいで僕はあっショパンだとわかる。後はよく聞こえなくてもとっても楽しいんです。感動をちゃあんと受ける。これは中から来ている感動ですよね。ちょっとした音のきっかえさえあれば後は全部埋めることができる。この音のきっかけがなきゃおそらくないね。これは不思議なことだ。全部聴いているわけじゃないけど聴く以上のものはちゃんとある。僕にはハイドンを聴いた記憶がある。モーツアルトを聴いた記憶もある。で今度はベートーヴェンを聴こうと思うからベートーヴェンの音楽がちゃんと聴こえるんだ。これは歴史じゃないか。音楽というのは文学と同じように伝統と長い歴史があってそれを追わなければ絶対理解できない。音楽というものは歴史をしょった実に難解な意味なんだよ。音ではないんだよ絶対に。(小林秀雄『音楽について』)