『バルバラ異界』その他

講談社学術文庫の二冊、小西甚一『中世の文芸──「道」という理念』(もともと『「道」──中世の理念』の書名で現代新書から刊行されていたもの)と折口信夫『日本藝能史六講』を至急手元におきたくなって書店をはしごしたがみつからず、ふと目についた高橋睦郎『読みなおし日本文学史──歌の漂泊』を購入。
歌びとは神の代行者、神の言葉を語る口寄せとしての巫者の後裔であった。
すなわち日本文学の原点は歌であり、歌とは本来神の歌だった。
面白い。二年前に出た『十二夜──闇と罪の王朝文学史』もあわせて読みたい


以上は昨日の出来事で、今日、ある会合を抜け出し三宮駅前のジュンク堂に出向いて折口信夫『日本藝能史六講』をみつけた。
往復の運賃六百円余りかかったが気分がいい。
荒俣宏『「歌枕」謎ときの旅』とあわせて鞄のなかの常備本としてしばらく持ち歩くことになりそう。
某会合からの帰り、交流会で少しきこしめした日本酒の勢いで、岡野玲子陰陽師13 太陽』と萩尾望都バルバラ異界』2〜4をまとめて買った。
いずれも完結。安心して読むことができる。

バルバラ異界』は二年前に第1巻を読み、いつかまとめて読むべしと我慢していた。
第4巻の帯に茂木健一郎さんの推薦の辞が載っていた。
いわく「読んでいると、ふわっと心地よく意識がゆらぐ。その波が、切ないラストまで一気に私を運んでいってくれた」。
萩尾望都対談シリーズ「科学者とお茶を」[http://www.poplarbeech.com/kagaku/kagaku_001.html]で萩尾望都が語っている。


「茂木さんが「ふあっと」と、おっしゃったけど、女の人の作品は境界(枠)が非常に曖昧なのです。特にコマとコマとの境界が、けっこう曖昧で、主人公がいきなりコマをはみ出して等身大で出てきても、アップで出てきても、あんまり読者は驚かない。男性の漫画は、むしろコマからはみだすほうが珍しくて、コマをきちっと割っていきます」


石川忠司との対談(『群像』10月号)で保坂和志が「漫画って、コンセプトを伝えやすいよね。小説は、細かく書くと、自然、コンセプトがあやふやになるから」と言っていた。
このことと関係するのかどうか分からないが、萩尾・茂木の対談に次のくだりがでてくる。


《茂木》さっきおっしゃってましたよね、漫画では「登場人物があって、背景では何か別のストーリーが流れている」と。登場人物だけを見るんじゃなくて、その背景でもまた別の出来事が起こっているのを読み取る――というのに相当することが、何かあるなぁ、と。だから萩尾さんの『11人いる!』も、ハードSFとしても読めるんだけど、読後感としてはストーリー・ラインの背後にある空気感、世界観といった感覚的なものが中心を占めている感じですよね。あらすじだけをまとめたら、本質的なものが抜け落ちてしまうと思う。これは他のジャンルでは見たことない気がします。というか、この感じは文字だと表せない、漫画じゃないと表せないんです、きっと。

《萩尾》ううん、すごい、そうなんですか。それは、マンガの評論の新しい方法として、見逃せないポイントですね。茂木健一郎著の、漫画はこう読む、誰も知らなかった新しい読み方、なんて本、読んでみたいですねえ。


養老孟司牧野圭一京都精華大学芸術学部教授)の対談『マンガをもっと読みなさい──日本人の脳はすばらしい』が出ている。
本屋でざっと立ち読みしてだいたいの感触はつかんだつもりだけれどほとんど思い出せない。
茂木健一郎著『漫画とクオリア──漫画はこう読む、誰も知らなかった新しい読み方』が出たら、あわせて読み直そう。