『物質と記憶』(第9回)

物質と記憶』。純粋知覚の理論の要約(71-75頁)を再読し、十一節「純粋知覚」から十四節「物質と記憶力」までを通読。
これで第一章を終えたことになる。
「純粋記憶を脳の作用からひき出そうとするあらゆる試みは、分析すれば根本的な錯覚を露呈せざるをえないだろう」(85頁)。
このことと第二章冒頭の「身体が過去の行動を蓄積しうるのは、運動の装置としてであり、また運動の装置としてにすぎない。そこからして、普通の意味での過去のイマージュは、別な形で保存されるものであり」(90頁)云々とを組み合わせれば、純粋記憶の理論のエッセンスが早々と述べられたことになる。
純粋知覚の理論は権利上のものであって、だから実験的に実証することはできないのに対して、純粋記憶の理論は、それがもたらす結論には形而上学に属するものが含まれているにもかかわらず、経験的に検証可能である(87-88頁)。
経験的形而上学もしくは実験形而上学