『孔子暗黒伝』『恋と女の日本文学』

一昨日の晩に『陰陽師』を読み終えて、箸休めではないが『孔子暗黒伝』を少し読み進め、結局、昨日の昼下がり、『music for 陰陽師』(ブライアン・イーノではなくて伶楽舎の雅楽の方)を聴きながら一気に読み終えた。
読後、眼精疲労と軽い頭痛に襲われた。文庫では活字が小さすぎる。描線が濃すぎる。
少年ジャンプ掲載時に断片的に読んだ記憶があるが、もう少しのびやかな印象だった。
奇譚、伝奇、異説(トンデモ)本としての面白さは格別だが、なによりマンガとしての出来が破格。
どこか身心の歪みと時空のズレを内蔵した描画とぎくしゃくしたストーリー展開が読者の想像力をかきたてる。
孔子暗黒伝』を読んだら『暗黒神話』も読まなきゃダメ。だれかがブログにそんなことを書いていた。
で、そのふたつを読んだら『西遊妖猿伝』も読まなきゃダメとも。で、諸星大二郎暗黒神話』を買った。
続けて読もうと思ったが、眼と頭のことを考えてひかえた。


     ※
ミーツ・リージョナル』(11月号)に「街人の「イマヨミ」読本。」という特集があって、筆頭に内田樹さんの「脳内リセット故人伝」というインタビュー記事が載っている。
そこにとりあげられた三冊の本のひとつが白川静孔子伝』で、諸星大二郎孔子暗黒伝』と酒見賢一陋巷に在り』の知られざる原作本として紹介されている。
「読んでびっくり、世界は「呪い」に満ちている。」
ちなみに、他の二冊は『氷川清話』と『明治人物閑話』。


古代社会において、呪い(呪術)とは政治である。
この「呪い」でつながるのが、今日図書館から借りてきた丸谷才一『恋と女の日本文学』(講談社)。
あとがきを読むと、著者は、詞華集を手がかりにして文学と共同体の関係を論じた『日本文学史早わかり』(1978年)が本の形にまとまったころ、三部作仕立ての日本文学史を書こうと思っていた。
ケンブリッジ・リチュアリストたち(フレイザーほか)およびその弟子筋に当る折口信夫を参照して日本文学と呪術との関係をあつかう第二部。
日本文学が恋愛と色情に特殊な関心を寄せていることに注目した第三部。
第二部は『忠臣蔵とは何か』に、そして本書が第三部にあたる。
講演をもとにした二編、「恋と日本文学と本居宣長」と「女の救はれ」が収められている。
前者を読んでいると、王朝和歌でもっとも重きをなした恋歌の伝統が俳諧にもうけつがれ、「芭蕉の名声のかなりの部分は、恋の座の付けとその捌きとによるものであった」(45頁)。
その例証として、越人・芭蕉の両吟「雁がねの巻」(『阿羅野』)の話題が出てきた。
「きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに 芭蕉/かぜひきたまふ声のうつくし 越人」。
『完本 風狂始末』に評釈がある。