『新々百人一首(上)』

半日仕事を休み、小西甚一『中世の文芸』(講談社学術文庫、もしくは現代新書の『「道」──中世の理念』)と唐木順三『中世の文学』と岩波文庫の『中世歌論集』と勝俣鎮夫『一揆』(岩波新書)を探して古本屋めぐり。
三宮サンパルの2階で風巻景次郎『中世の文学伝統』(岩波文庫)、3階(MANYO神戸三宮店)で小西甚一『日本文学史』(講談社学術文庫)をゲットして退散。
前著は昭和15年(ラジヲ新書)、後著は昭和28年(アテネ新書)の初刊本を文庫化したもの。
風巻景次郎の名は『日本文学史早わかり』にも登場していた。いかにも国文学者らしい名。
小西甚一本はドナルド・キーンが絶賛した「幻の名著」。
文庫あとがきによると、1953年刊のキーン著“Japanese Literature”には『万葉集』が出てこない。
もっと魅力的な作品を採りあげるために割愛されたのだという。
「その「もっと魅力的な作品」が、なんと、連歌および俳諧なのである。」
「畢竟の温泉宿」を特集した『サライ』11月3日号を買って帰宅。
部屋の本箱に久松潜一『中世和歌史論』(塙選書:昭和34年)が眠っていたのを発見した。


     ※
丸谷才一『新々百人一首(上)』読了。
昨年暮れに購入して以来ほぼ一日一首のペースで読み継ぎ、道半ばにして(関心が他へうつろいゆき)中断しかけたものの、突如おそわれた歌狂いの風にあおられふたたび繙き、読み始めるととまらなくなり、でも一日にそうたくさん読めるものではなく(読めないことはないがしっくりと心に残らない)、もうすっかり丸谷才一の藝と技のとりこになって、世にいう枕頭の書とはこのような陶酔をもたらしてくれる書物をいうのであろうかと、頁を繰るたびいくどためいきをついたことか。
第3番・二条后「雪のうちに春はきにけりうぐいすの氷れる泪いまやとくらむ」や第60番・藤原俊成女「隔てゆくよよの面影かきくらし雪とふりぬる」の評釈など、超絶(饒舌?)技巧やらアクロバティックやらと形容する言葉もむなしくただただ痺れゆくしかない。
王朝和歌の終焉・入寂の時を告げる第31番・正徹「沖津かぜ西吹く浪ぞ音かはる海の都も秋や立つらん」、第49番・心敬「世は色におとろへぞゆく天人[あまひと]の愁[うれへ]やくだる秋の夕ぐれ」に寄せられた文など絶品、逸品、畢竟の域に達している。
丸谷才一が王朝和歌にかける思い──というか、俵万智との対談「百人一首腕くらべ」(下巻)で「僕は、ケンブリッジ学派の文化人類学的な芸術研究と折口学派の民俗学的な文学研究の影響を受けていて、文学を呪術から展開してきたものと捉えています」と語る丸谷才一の反アララギ的王朝和歌観──は、巻末に収録された林望との対談「王朝和歌は恋の歌」の次のくだりにあますところなく示されている。
(ちなみに林望の「恋=(魂を)乞う」説は、たまたまいま読んでいる折口信夫「日本藝能史六講」の第四講にでてきた。「つまりそれは相手の魂を招きこふ動作、それがこひなのです。」)

《 林 》恋と王権の話に戻りますが、折口流の「色好み」という価値観からすると、天皇は日本最高の色好みとなる。(略)なぜわが国においてはそうなるのか。おそらく恋とは本来魂を「乞う」こと、魂を読んで鎮魂することだと考えられるからでしょうね。ですから国の統治のシステムとして天使が恋をするのは当たり前で……。

《丸谷》というか、積極的に恋をしなくてはならない。つまり、霊的なものと恋愛とが深く結びついているんですね。帝と后が恋をすることによって一切の動植物を刺激する。動植物の繁殖を促す。そういう霊的な力をもっているのが日本の帝であって、だからこそ帝が后に言い寄るときの恋歌が大事なものになる。日本文化においては呪術と言葉とが密接に結びついています。

《 林 》感染呪術[かまけわざ]、とそういうのを呼びますが、これぞ日本文化の根幹ですね。

《丸谷》歌に恋のファクターを読み取っていると林さんは指摘してくださったけれど、さまざまな形で恋を詠むのが王朝和歌全体の主題だった。あるいは基本的な性格だったと思っているんです。しかもその恋は単なる恋ではなく、宗教的行為や政治的行為に結びつく。そうした恋歌を中心に持つのが日本文化の基本なのですね。