『生命記号論』への再挑戦

何度も何度も読みかけては、そのつど何らかの事情によって中断し、結局最後まで読み終えることができない書物がある。
その事情がそれぞれのケースで異なるのは当然だが、そこに一定の傾向というものはある。
なかでも、それ以上読み進めるとただただそこに書かれ論じられている事柄を丸ごと無批判に受け入れ、最後には自分の頭で考えるのを放棄してしまいそうになる危険を感じ(要するに、その書物を読みこなすだけの力量や思考の総量がまだまだ足りないことに気づいて)書物を閉じた場合は、後々までその書物のことが気になって仕方がない。
ジェスパー・ホフマイヤーの『生命記号論──宇宙の意味と表象』は、その最たるものの一つだった。
少し前から中断したままになっていた『パースの生涯』を再び読み始め、やはりこの訳文は日本語になっていない(同じ理由で中断しているジンメルの『貨幣の哲学』よりはまだましだが)と閉口して、口直しというわけではないがふと『生命記号論』を手にしたら、ついにこれまで何度試みても突破できなかった全十章中第三章の壁を乗り越えることができた。
昨日、東京への日帰り出張の車中で一気に最後まで読み切るつもりだったが、どういうわけか体力が続かず今日に持ち越し、残り二章というところで集中が切れた。
細部の議論の面白さは絶品だが、その面白さに翻弄されて全体の議論の輪郭を見失ってしまう。
少し頭を冷やして完読は後日を期すことにした。
全編読み終えたらもう一度最初からこんどは全体の輪郭を遠望しながら反芻してみよう。
それにしても面白い本だ。