堀江敏幸と長田弘

堀江敏幸『熊の敷石』(講談社文庫)を買った。
ほんとうは世評の高い『雪沼とその周辺』を読んでみたかったのだが、この人の作品は初めてなので、初期投資額を抑えるために薄い文庫本を選んだ。
表題作を含めて三篇収められている。
いちばん短い「城址にて」と川上弘美の解説を読んだ。
一人称で書かれた文章なのに「鳥瞰感」が漂っている。
空間的なものではなく時間的、視覚的というよりは触覚的。
視覚的でないというわけではない。
それが巨視的パノラマ的でないというだけのことで、微細な動きに寄りそいながら、生理に即して表現されている。
触覚的というより、感覚の原器のようなものに触れている。
あたりまえのことだが、それは文章で造られている。
文章の手触りがつねにつきまとう。
ほとんど詩に近づいているようでいて、紛れもない散文。
その証に、短い叙述で造形される人物のかたちに揺らぎがない。
小説を読むとは筋や情景描写を読むことではなく、文章を読むこと。


あわせて長田弘の詩集を入手しようと思っていたが、適当な本が見つからなかった。
検索して、ネット上の長田弘の文章や詩文を拾い読みしていて、坂本龍一との対談「暴力の前に言葉・音楽は無力か」(2002年1月7日朝日新聞朝刊)の抜粋を見つけた。
長田弘の発言の一部分をペーストしておく。

歴史には2つあると思う。「ファスト・ヒストリー」(手っ取り早い歴史)と「スロー・ヒストリー」(ゆっくりと見えてくる歴史)です。今は「ファスト・ヒストリー」が世を席巻しているように見えるけど、「ファスト・ヒストリー」がもたらすのは結局、成りゆき。人々の生きる日々をつくるのは「スロー・ヒストリー」です。今、切実に問われているのは、一番大切なのは何だという問いただしだと思う。